天国の丘
何とも心地良い音色と、不思議な懐しさが僕の全身を包んだ。
まるで映画のワンシーンに自分が入り込んでいるような気分だ。
この時の事を知り合い達に話したけれど、皆、僕の作り話しだと言って信じてくれなかった。
そんなドラマティックな事が都合良く起きる訳が無いと言われたが、この事は作り話しでも夢でもなく、本当の事なのである。
彼の『ホワイト・クリスマス』が終わると、僕は思わず拍手をしていた。
毛糸の手袋をしていたのでくぐもった音になってしまい、慌てて手袋を脱ぎ、もう一度拍手をした。彼は左手のビールを眼の高さまで上げ、
「メリークリスマス」
と微笑んだのである。
そう言えば明日はイヴだ。僕は、
「ブラボー!」
を何度も連発した。
今振り返っても、どうしてブラボー!なんて言葉を口にしたんだろうと不思議でしょうがない。普段なら絶対恥ずかしくってそんな言い方をしないのに。
ポケットに手を入れ小銭を探した。
百円玉と十円玉が少し。
ちょっと考え、それをポケットに戻し、皮の禿げかけた財布から五百円札を一枚抜き出した。
男の側に行き、五百円札を差し出すと、彼は怒ったような表情を見せた。
そして、いきなり早口でまくし立てられた。
「俺は自分で勝手に酔っ払ってるだけだ。そんな男に無意味な施しは何の助けにもならない。寧ろより一層の怠惰を引き起こすだけだ」
「いえ、施しとかそんなんじゃなくて素敵な唄を聞かせて貰えた事へのささやかなお礼なんです。
気に障ったのでしたら、謝ります」
僕がそう言って頭を下げると、彼は打って変わったように満面の笑みを浮かべ、
「じゃあ、済まないがビールを一本奢ってくれないか?それと出来れば煙草も」
と言い、地下を指差していた。
その意味するところが、下の店で買って来てくれという事だと判り、僕は始めてその店の扉を押し開けたのである。