天国の丘
ショックの原因は、母が死んだ事よりも、手遅れになる迄気付いてやれなかっという事実にあった。
二年前に父の死というものを体験して置きながら、僕は人の命というものに、少しも目を向けていなかった。
命の大切さは、身近な人間に対する気遣いや優しさによって意識されてくるものなのに、僕は人からそれを貰うばかりで少しも与える事をしなかった。
入院中、眠れないからと言って薬を貰い、それを溜め込み、いっぺんに飲んで死んでやろうかと思ったが、結局入院は一週間足らずだったので、死ねるだけの量は溜まらなかった。
死にたいなんて思った気持ちも、所詮その程度のものだった。
唯一の親類である道夫叔父が何かと気に掛けてはくれたが、僕は大学に行く事もなく、一人見知らぬ土地で自活する道を選んだ。
埼玉の自動車工場。
千葉の新聞販売店。
横浜の警備会社。
神田の製本工場。
そして現在の会社……
もうすぐ二十二歳になる男の職歴としては多い方の部類に入るだろう。