天国の丘
目の前のサックスに触れてみた。
シルバーのボディが、ライトに反射して輝いている。
そっと優しく両手でマーサから受け取り、構えてみた。
「結構、様になってるじゃない」
レナの言葉に照れ笑いを浮かべ、
「アメリカに行っちゃう迄には、一曲位ちゃんと吹けるように練習するよ」
と、僕は言った。
「明日から特訓だな。授業料は特別に出世払いにしといてやるよ」
「よかったよ、ボウヤが受け取ってくれて……。
これでアタシが天国へ行った時にあの人に顔向けが出来る」
マーサに、ほんの少し笑顔が戻った。
ヘブン・ヒルのボトルはなかなか減らなかった。
皆、一杯目はあっという間に飲み干したのに、その後は飲み干すのを躊躇うかのように、いつ迄もグラスの中で琥珀色の液体を回すばかりだった。
思えば、不思議な一夜だった。
死んだ人間を偲んでの集まりなのに、女は皆ドレッシーに装い、男は精一杯のダンディさを見せ、笑顔のままで夜を明かした。
一粒の涙も見せず、やたら感傷的な言葉だけで過去を語るでもなく、五線譜の上に書き込まれた、様々な記号を輝く宝石に変えて、この空間を包み込んだ。
人によってはこの夜の光景を見て、死というものを余りにも美化し過ぎてると感じるかも知れない。
それに、軽々しく笑って送って上げようなどと言ってはいけないと言うかも知れない。
どれが良くて、どれが悪いとか、そんな事はどうでもいいと思っている。
自分にとって大切な人、好きな人が死んだら悲しくない訳が無い。
天国への送別会なんだから、涙よりは笑顔の方が……
そう思いながらも、気付かないうちに僕の両目は涙で潤んでいた。