君を奪うと決めていた
今夜奪いに行くよ
ずっと欲しかった。
欲しくてたまらなかった彼女を、和哉は自分の胸に抱きしめる。
彼女には幼い頃から決められた婚約者がいた。
彼女は成人を迎えた後も、社会人として自立した後も、両親へ反発することなく、自分の将来を諦めたように受け入れてるようだった。
婚約者は代々彼女の家と繋がりのある由緒ある一族の人間。
「恵里香はね。大人になったら和哉くんのお嫁さんになるんだよ。」
20年前の無知な彼女はそう言って、微笑んでいた事が懐かしい。
1週間後、彼女は婚約者と正式に婚約する。
後はとんとん拍子に結婚へと進むことは分かりきっていた。
そして今日、彼女はどうしても和哉に会いたいと連絡してきたのだ。
婚約者との結婚が成立すればもう和哉とは簡単に会えなくなるからと言っていた。
たまに2人で出かけることはあったが、今日は恋人のようにデートをした。
彼女は和哉を好きだと言った。
ずっと好きだったと。
今まで婚約者がいたため、誰とも付き合う事なく過ごしていたが、1度くらいは好きな人に抱かれたい。と訴えてくる。
どうやら婚約者の男は複数の女性に同時に手を出し好き勝手に遊んでいるようだった。
何度か2人で会って親密になれるように努力しようとしたが、どうしても心が拒否してしまうと彼女は言った。
そんな人の妻になるなんて耐えられない。
好きじゃなくても誠実な人なら、それなりに幸せに暮らしていけると思っていたようだ。
静かに涙を流す彼女を見て、和哉も今まで抑えていた感情を止めることが出来なかった。
和哉も彼女が大切だった。
大切だからこそ、両親の認める人間と結婚し、穏やかに幸せな生活をしてくれる事を願っていた。
彼女を抱きしめ、長年我慢していた気持ちを解放する。
彼女はずっと泣いたまま。
「…泣かないでくれ。」
和哉がそう言っても、彼女は泣き止むことはなかった。
「…ずっと一緒にいたい。和哉くんと一緒にいたい。」
「…分かったから。恵里香の気持ちは分かったよ。後は俺に任せて。」
その夜、2人はお互いの長年抑え続けていた気持ちを共有するように体を重ねた。
ずっと、ずっと求めていた。
和哉にとっての唯一無二の存在。
大切に大切に、ゆっくりと彼女の存在を確かめるように。
彼女は婚約者に無理やりキスをされたと泣いていた。
正式に婚約するまで待って欲しいと伝えたようだが、彼女の言葉を受け入れては貰えなかったらしい。
「本当は、初めてのキスも和哉くんが良かったのに。」
和哉は彼女を撫でながら、唇だけでなく、身体中隅々までキスをした。
「大丈夫。これから俺以外が恵里香にキス出来ないようにするよ。あいつの感触なんて二度と思い出せないくらいに。」
「…うん。和哉くん以外の人には触られたくない。もっともっとたくさんして…」
彼女の声が枯れるまで、たくさん彼女の"初めて"を奪った。
泣き疲れた彼女が深く眠りについてから、その寝顔を眺める。
ずっと手に入れたかった。
もう和哉が触れることも許されないと思っていたが、チャンスが巡ってきた。
このチャンスは逃さない。
彼女はこれきりだと思っているようだが、最後になんてさせる訳が無い。
"もしも"の為に和哉はそれなりに準備をしていた。
彼女を奪う為なら何でもしてやる。
和哉は不敵な笑みを浮かべると、誰にも奪われないように彼女を自分の腕の中に閉じ込めた。
****
翌日、彼女が目覚めると少し遅めの朝食をとり、彼女の実家へ一緒に向かう。
彼女は戸惑うばかりでおろおろしていた。
まさか、こんな事態になるとは思ってもいなかったのだろう。
彼女の両親はちょうど今日は家にいるようだったので、電話をしてお邪魔する事を伝える。
「恵里香、大丈夫だよ。恵里香には俺がいる。両親も分かってくれるよ。」
「…でも、相澤さんとの婚約はずっと昔から決まっていたのに…」
彼女の実家へ着くと、彼女の両親は当たり前のように和哉達を迎えた。
「和哉くん、今日も素敵ね〜。先週見た時の白衣姿も素敵だったけどやっぱり私は普段の和哉くんの方が好きだわ!」
彼女の母親は嬉しそうにキャッキャウフフしている。
父親の方も満更でも無さそうにしていた。
「…和哉くんの評判はいつも聞いているよ。患者さんからの人気も高いようでウチの病院としても有難い限りだよ。」
彼女の実家はそれなりに大きい病院を経営している。彼女の父親は現在病院長として働いており、和哉はその病院で医師として勤務しているのだ。
彼女自身も医師として働いてはいるが、実家とは別の病院に勤務しており、結婚してから実家の病院へ戻って来る予定のようだった。
彼女の婚約者の実家である相澤家も隣町で代々病院を経営しており、古くからの付き合いがある関係である。相澤家の人間はほぼ全員が医師又は看護師として病院に貢献している事で有名だ。
彼女の実家は娘1人という事もあり、病院の将来を心配した彼女の両親が相澤家の次男を婿へ迎えたいと申し出たと聞いている。
次男である相澤 誠も英才教育のお陰もあり無事に医師として働いているようだが、お世辞にも評判がいいとは言えなかった。
和哉も何度か噂を耳にした事があるが、同じ医師として人間性は尊敬出来ないと感じている。
実際に和哉が医師になるまでは、隣町の大病院の息子が相手では叶わないと身を引いていたが、それでもせめて同じ土俵には立ちたいと必死で勉強した。出来るだけ"彼女の側にいて良い理由"が欲しかった。
蓋を開ければ、相手は"自由気ままなお坊ちゃん"だった。
正直なところ、実家が病院という事を考慮しなければ和哉の方が条件は数倍良いと自負している。
彼女は和哉を好きだと言ってくれた。
今まで文句ひとつ言わずに努力して医師になった彼女をずっと隣で見てきた。
その彼女が初めて実家に逆らってまで自分の思いを和哉に告げてくれた。
和哉もそれに応えたかった。
それに応えるために今まで20年間努力してきたのだ。
「今日は急にお邪魔して申し訳ありません。大切な話をさせて頂きたくてお邪魔させて頂きました。」
急に改まった和哉に、彼女の両親はキョトンとした後、期待するように黙った。
「恵里香さんに婚約者がいる事はずっと存じています。それでも、どうしても恵里香さんと結婚したいという気持ちを抑えることが出来ませんでした。僕では役不足なのも十分承知していますが、恵里香さんに見合うよう、これからもっと努力していくつもりです。恵里香さんと結婚する事を許していただけないでしょうか?」
彼女の母親は嬉しそうに夫へにこりと微笑んだ。その仕草は彼女自身とそっくりだ。
「…ですって、お父さん。」
「………やっと…やっと。この日が来るのをどれだけ私達が待ち望んでいたことか…」
彼女の父親は重いものをようやく手放せたと言うように深く安堵の言葉を漏らす。
両親の様子に彼女が1番驚いているようだった。
先程まで緊張してあまり言葉が出なかった彼女が、和哉を見上げて嬉しそうに涙を浮かべている。
昨日、和哉が見た悲しい涙とは全くの別もの。とても綺麗な涙だった。
「私達もね、こんな事言いたくはないけれど、まさか相澤家の息子さんがあんな風に成長するなんて想像していなかったから、本当にどうしようかと悩んでいたのよ。自分達からお願いしている事だったし、やっぱりごめんなさいとも言いづらくて…」
母親は更に続ける。
「でもね、実は来週恵里香と誠さんが正式な婚約をする前に興信所で調べた調査結果を相澤家へお見せしてこちらからお断りしようと思っていたのよ。それを今日恵里香にも伝えて恵里香の気持ちも聞こうとしていたけれど、まさかこんなに嬉しい報告が聞けるなんて!私は大賛成よ!」
「…恵里香も、嫌なら嫌と言ってくれれば良いものを。私は恵里香が嫌がらないからてっきり誠くんの事を好いているのだとばかり思って…」
父親の発言に母親は「これだから男親は…」と呆れた様子だ。
「隣のお家にこんなにかっこ良くて優しい男の子がいたら、好きにならない方がおかしいもの。ね?恵里香。」
彼女はコクコクと数回頷く。
「では、本当に宜しいのですか?」
和哉が最終確認をすると、彼女の両親共ににっこりと頷いてくれたのだった。
****
「あー、やっぱり和哉先生は恵里香先生と結婚するんだ~。ショック〜。」
病院のロッカーで、女性陣は朝の朝礼での話に落胆している様子だった。
「そりゃそうでしょ〜。相澤のとこの息子ヤバいって噂凄いみたいだし。友達あの病院で看護師してるけど、診断もまともに出来ないらしいよ。しかも女にセクハラ紛いの事してるみたいだし最悪。」
「幼馴染で、家もお隣で、娘の為に医者になったイケメンが婿に申し出てくるとか、院長達が結婚認める条件しか揃ってないでしょ。私達には勝ち目なし。」
「既婚者になっても和哉先生は目の保養だから私はずっとファン!」
「え〜!私だってファン辞めるつもりないから!」
「「「私も!!」」」
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佐山総合病院には勉強熱心で素敵な病院長と、穏やかで優しい副院長がいる。
今日も治療や診察で受診している患者さんで病院は慌ただしい。
「佐山院長、診察お願いします。」
看護師が院長を呼ぶと、若々しく清潔感溢れる男性が現れる。
男性は患者の話を親身に聞き、診察すると、状態を説明し、必要な薬を処方した。
患者は今日が久しぶりの受診だったようだった。
診察が終わった後、看護師に「今はあんなに若い先生が院長なんですね。"佐山先生"と言うことは前の院長の息子さんですか?」と尋ねたようだ。
看護師はいつもの事に慣れたように答える。
「院長はああ見えて50代のベテランですよ。お子さんも2人いて、上の子はもうすぐ高校生になるんですから。」
患者は「え!?うそ!」と驚きの声を上げる。
「今の院長は前院長の義理の息子さんなんです。。院長は奥様の為にお医者さんになった努力家ですからね。」
看護師はイタズラが成功した子供のように患者へこそこそ話を続けた。
「この事を言ったら院長が恥ずかしがりますから、私が言った事は他の患者様には内緒ですよ。」