前略、肉食お嬢様―ヒロインな俺はお嬢様のカノジョ―
「は、放して下さいっす! 此処は無理っす!」
喚く俺に、「落ち着け。高いけれど此処は絶対に落ちないから」先輩は努めて優しく宥めてくれた。が、しかし、そう簡単に落ち着けないのが残念豊福空である。
何年高所恐怖症に付き合ってきたと思っているんですか。
何度も乗り越えようと試みて失敗しているんっすから!
先輩だってさっき言ってくれたじゃないっすか。
高所恐怖症を治すには十年、二十年、長い目で見ないとって。
「無理っすよ!」
嫌だ嫌だ、此処は絶対に無理だと逃げようとする俺に、「ダイジョーブ」先輩は満面の笑顔を作った。
「あたしが大丈夫と言うんだ。空、大丈夫、ちょっと外を見てみろ」
頑なに首を横に振る俺に、「空は下ばかり見ているんだ」先輩は窓の外を指差した。
「誰だって下を見れば怖いさ。目の眩むのような高さに、あたしだって怖じる。
けれどそれ以上に、前を見てみれば素晴らしい世界が待っている。
あたしはな、空。
こうして高い所から風景を見るのが大好きなんだ。昔から大好きなんだ。
なんでだと思う? 世界が広いと思えるからだ。下を見ればちっぽけな世界しか目に映らないが、前を見れば満目一杯に世界が広がる。
あたしは令嬢ばかりの世界に囚われていた。
金持ちの仕来り、身分、立ち振る舞い、個性ではなく上辺ばかりを見られるその世界に飽き飽きしていた。
そんな時、励ましてくれたのはこの広い世界だった。
高い所から見る世界は本当にどこまでも、どこまでも広がっていて、嗚呼、あたしの悩みなんてちっぽけだなっと思った。
そう、あんたは今、小さな世界しか見ていないんだ。
確かにご両親の事があるかもしれない。哀しい記憶、辛い怪我、胸を刺す過去のせいで、あんたは高所から見る絶景に怖じてしまった。
きっと亡くなられたご両親も悲しい思いをしていると思う。こんなにも広い世界を見られないなんて、と。
空、あんたの名前、あたしは好きだ。どこまでも広いひろい空の名が付いている、あんたの名前は本当に好きだ。
そしてあんたは、名前の通り、自力で世界を広げようとしている……実はな、空。今だから言えるが、あたしは最初こそ、あんたが嫌いだったんだ」