前略、肉食お嬢様―ヒロインな俺はお嬢様のカノジョ―
「豊福?」
付き添ってくれる大雅先輩の訝しげな声音をBGMにしながら、俺は瞼を下ろした。
隊の人が異変に気付き、すぐさま救急車に怪我人を運ぶとストレッチャーを動かし始める。
ガタゴト揺れるストレッチャーと俺の体。
目は閉じていても救急車に乗ったんだと雰囲気で分かる。
初めて救急車になんか乗ったな。
あ、嘘。
昔、救急車に乗った。
俺が頭に大怪我を負って……と言っても、爪先も覚えてないんだけどさ。
遠退く意識の中、沢山の雑音が俺の聴覚を支配する。
例えば焦る大雅先輩の声だとか、隊の人の指示だとか、ざわつく空気だとか、大好きな先輩の呼ぶ声だとか。
ああ、それから悲鳴交じりの声が聞こえる。
それは俺を探し求める声で、女性特有のソプラノが雑音を掻き消していた。
……母さんの声?
ぐらっと救急車が揺れ、派手で大きな物音が聞こえたと思ったら、大声で必死に名前を呼ばれた。
揺すられているのに、嗚呼、目を開けなきゃいけないのに、駄目だ。瞼にさえ力が入らない。
遅れて聞こえる聞きなれたテノールは父さんのもの。
母さんを宥めるような会話が聞こえるけど、子供のように母さんは嫌がって俺の体に縋った。
「良かった。ちゃんと生きている」
でも一目こっちを見て欲しい、目を開けて欲しい。
嗚咽を漏らして怪我人を掻き抱いた。
心配で心配で生きた心地がしなかったと泣きじゃくってくれる母さんと、「頑張ったな空」涙声の父さんの声。
「父さんはな。犯人に文句を言いたいよ。空に一千万だなんて、とても安い値だと。息子の命を助けられるなら一億だって惜しまないのにな」
幾ら金を積んでも息子の命は金では買えない。戻って来ない。
その台詞にどれだけ父さんの心配が籠められているか分かってしまう。
今更恐怖が襲ってきた。二度と父さん母さんに会えないんじゃないか、そう思うだけで鳥肌だ。
どうしよう、なんか言いたい。
無理やり起きて何か言いたい。
でも目が開かない。
何を言えばいいのか分からない。
目を開けて何を言いたい?
心配掛けてごめんなさい? 怖かった? また会えて良かった?
それとも俺、全部を思い出したんだよ?
どれも違う気がした。
なんだろう、何を言えば……そうか分かった。
プッツリと切れる意識の中、俺は両親の名前を紡いだ。
口にできているかは謎い。
頭だけの妄想ワールドで留まっているかもしれない。
それでも両親の名前を呼びたかった。
言葉なんて後でなんとでも言える。
ただただ今は息子を心配し、何度も名前を呼んでくれる両親の名を、俺も呼びたかった。呼びたかったんだ。