前略、肉食お嬢様―ヒロインな俺はお嬢様のカノジョ―
06. トラウマと気持ち
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「俺、トラウマがあるんっす。記憶にはあんま無いんすけど」
保健室に入った俺達は、保健室にいるべき教諭が会議でいないことをいいことに空っぽのベッドに腰を掛けていた。
薬品くさい保健室は無人で凛と静まり返っている。
そのせいで語り部に立つ俺の声がやけに響き、発したそれは大きなものと感じた。
ベッドをぐるっと囲っている桃色のカーテンに視線を留め、俺の横顔を見つめてくる聞き手の視線を受け流す。
高所恐怖症という己の弱点を人に曝す、それは俺にとって勇気がいることだった。
「いつのことだったか憶えていません。ただうんっと小さい頃に、俺はジャングルジムから落ちたんっす」
断片的にしか思い出せない記憶のかけらを収取してみる。
当時、俺は“どこか”の公園にひとりで向かい、ジャングルジムにのぼって遊んでいた。
周りに大人はいなかった。
ジャングルジムは大好きだった遊具、お気に入りの場所として真っ先に足を向けていた。
けれど、落ちる寸前のあの時、俺は“何か”を見た。
その拍子に足を滑らせて地面に真っ逆さま。頭ぶつけて大怪我を負った。
俺が思い出せる記憶はここまで。
あとは抽象的な感情や、落ちた時に感じた頭部の激痛しか憶えていない。
十五針を縫う大怪我の末、俺は高い所が極端に駄目になった。
今も外の景色が見えるエレベータはてんで駄目だし(エレベータ自体が苦手)、窓の外から景色を眺めることも窓側に座ることも駄目だ。
そこが一階だったら問題は無い。
窓側に座れるし、窓の外も余裕で眺められる。
反面、一階より上は駄目だ。恐くて怖くて仕方が無い。
建物に上れるけど、景色は絶対に眺められない。
情けない話、これに関して克服する術を知らない。
鈴理先輩に俺のトラウマのことを話すと、「そうか」同情するわけでも、哀れむことも無く、ただ相槌を打ってくれた。
心遣いが嬉しかった。
同情されたりしたら、自分自身が情けなく思っちまうから。
「馬鹿だな。そんなトラウマがあるのに、どうして無理をしてくれたんだ?」
気を落ち着かせるために始終握ってくれた右の手が、俺の手の甲を悪戯気にさする。