素直になれない
▼はじまりの春
「ちょっと!待ちなさいよ」
自分でも意外なほどに大きな声が出た。廊下に居た生徒が何事かとちらちら見てくるが、今の少女には逐一視線に構っていられるほどの余裕はない。
苛立ちを顕わにした態度で男に近付いた少女は、その高い身長を駆使して彼我を縮めた。
しかし彼女の努力も虚しく、さほど近付かなかった距離を男は鼻で笑い、そうして少女の緩く結ばれたネクタイを乱暴に掴み更に彼我を縮めた。
そして耳元で囁く。
「俺、お前みたいに綺麗事ばっか振りかざしてる女、嫌いだ」
ふっと熱い息を少女の耳にかけ、男は颯爽と走り去って行く。端から見れば甘い光景。しかし実際は重苦しい陰鬱な雰囲気。
少女はわなわなと震える身体を何とか自制し、落ち着かせるためにひとつ息を吐いてから床に落ちていた自分の鞄を拾った。
そうしてから男が消え去った廊下の果てを見据え、少女はその口元に愉しげに笑みを刻むのだった。