水滴
すっかり桜が葉桜になった頃、八重桜が咲き出す。

この花は仕事先の窓際から良く見える。
外に出れば桜色の絨毯。

仕事中だからゆっくりとは見れないけれど、私はこの桜が嫌いじゃない。

減薬は当分できないだろう。
したいとも思わない。

この病気と共に生きていくなら、まずは心を鍛えることだ。
辛い世の中に慣れること。

それが例え間違った世界だとしても、妄想に逃げるのが何倍も楽な選択肢でもしかしたらそれが人間の防衛反応だとしても。
私は間違いだらけの現実に生きていたい。

この世の中で生きるには、自分はあまりにも純粋過ぎた。
持って生まれた資質。ばらばらな家族。指導に向かない大人達。

環境に恵まれなかった自覚は有る。
尊敬できる大人や友人は一人もいなかった。

自己を確立する前につまづき、本来の自分に向き合う前に見失い、病気になった。

それは中学のある日突然やってきて、あまりに急速に非情に私を蝕んだ。

何故。

理由なんて無い。

ただ、恵まれず理解もされず訳も解るはずもなく。

私はその他大勢からはずれ、下を向いた。

あの日までは普通に日常生活をおくっていたというのに。

人生はあまりに長い。

遠回りは決して悪いことではないし、人生に近道も無い。

解ってる。「でも」もただの言い訳で足踏みに過ぎない。

15歳だった。
私の世の正常と位置づけられる場所に居たのはたった15年。
もう10年経った。

自分の病気を理解するのに9年ついやした。
10年経って11年目、私は自分の病名を知った。

死にたい気持ちは悲しいに変わり、不安は当たり前の感情として受け入れられ、やみくもに不安になる必要はないと心が理解した。

周りの理解も必要だと認識し始めた。
つまり、追い込まれた。

八重桜も美しい。
その存在感に圧倒される。

ぼたぼた落ちる様は儚さは無いけれど、私はやっぱり嫌いじゃない。

春は終わり、夏が来る。
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