【実録】不登校からの脱出
不登校になった私
徐々に…
小学校に行かなくなった。
最初は「腹痛」とか「気分が悪い」とか理由をつけて休んだ。
好都合だったのは…両親の共働きだった。
最初のうちは罪悪感があったが、休むうちにその気持ちは無くなった。
途中からはただ「行きたくない」という理由だけで休んだ。
朝と夜が逆転した生活。
テレビは放送終了まで見た。
後は「オールナイトニッポン」とかラジオを聞いた。
知らない間に夜は明けている事もあった。
新聞配達の人が来たのを確認してから眠る事もあった。
でも保育園時代からの友達を含め、何人かの友達とは遊ぶ事もあった。
そういった友達たちや先生は私を心配し、家に迎えに来る事もあった。
面倒臭さかったが、それでも何日かに一日くらいは学校に行った。
でも自分で習いたいと言った英語は通い続けた。
ただ友達と顔を合わせたくなかったのか、色々な道を通った。
そこは小さな学区の中では完全に顔を合わせない訳はいかない。
時々は友達と顔を合わせる事もあった。
英語教室は同じ学区の子が居なかった。
その為「不登校児」という情報は英語教室には知られて居なかった。
私の居心地の良い場所は…英語教室だけになった。
最初は「腹痛」とか「気分が悪い」とか理由をつけて休んだ。
好都合だったのは…両親の共働きだった。
最初のうちは罪悪感があったが、休むうちにその気持ちは無くなった。
途中からはただ「行きたくない」という理由だけで休んだ。
朝と夜が逆転した生活。
テレビは放送終了まで見た。
後は「オールナイトニッポン」とかラジオを聞いた。
知らない間に夜は明けている事もあった。
新聞配達の人が来たのを確認してから眠る事もあった。
でも保育園時代からの友達を含め、何人かの友達とは遊ぶ事もあった。
そういった友達たちや先生は私を心配し、家に迎えに来る事もあった。
面倒臭さかったが、それでも何日かに一日くらいは学校に行った。
でも自分で習いたいと言った英語は通い続けた。
ただ友達と顔を合わせたくなかったのか、色々な道を通った。
そこは小さな学区の中では完全に顔を合わせない訳はいかない。
時々は友達と顔を合わせる事もあった。
英語教室は同じ学区の子が居なかった。
その為「不登校児」という情報は英語教室には知られて居なかった。
私の居心地の良い場所は…英語教室だけになった。