【実録】不登校からの脱出
祖父の死
空虚
祖父が亡くなる寸前の事はよく覚えている。
病状が悪くなった祖父は、私の家の近くの病院から車で30分程の病院へ転院した。
今までは頻繁に通っていたお見舞いは、週一回くらいになった。
そしてある日の夜、私は起こされた。
理由は「祖父の危篤」だった。
私は小学校を休み、病院に居た。
妹二人は普通に小学校に行ったのを覚えている。
何故か私だけが小学校を休む事が許された。
何日か危篤状態が続き、あっけなく祖父は亡くなった。
初めて「人の死」と向き合った瞬間だった。
だからだろうか…涙を流す事は無かった。
お葬式も無邪気に笑っていたように記憶している。
実際「祖父の死」は、私にどれだけの影響を与えられたのか?
自分の大切なものを失う悲しさは…その時に知ったと思う。
私にとっての祖父は、とにかく偉大な人。
ある町の町長をしていて、幼いながらも選挙活動を側で見ていた。
だから私の中では祖父は絶対的な存在だった。
私が父親を小馬鹿にしていたのも祖父に原因があったように思う。
祖父は父親を好んでおらず…母親と結婚させた事を後悔していた。
それを何度も聞かされていた。
父親よりも祖父が絶対だったのだ。
病状が悪くなった祖父は、私の家の近くの病院から車で30分程の病院へ転院した。
今までは頻繁に通っていたお見舞いは、週一回くらいになった。
そしてある日の夜、私は起こされた。
理由は「祖父の危篤」だった。
私は小学校を休み、病院に居た。
妹二人は普通に小学校に行ったのを覚えている。
何故か私だけが小学校を休む事が許された。
何日か危篤状態が続き、あっけなく祖父は亡くなった。
初めて「人の死」と向き合った瞬間だった。
だからだろうか…涙を流す事は無かった。
お葬式も無邪気に笑っていたように記憶している。
実際「祖父の死」は、私にどれだけの影響を与えられたのか?
自分の大切なものを失う悲しさは…その時に知ったと思う。
私にとっての祖父は、とにかく偉大な人。
ある町の町長をしていて、幼いながらも選挙活動を側で見ていた。
だから私の中では祖父は絶対的な存在だった。
私が父親を小馬鹿にしていたのも祖父に原因があったように思う。
祖父は父親を好んでおらず…母親と結婚させた事を後悔していた。
それを何度も聞かされていた。
父親よりも祖父が絶対だったのだ。