凛と咲く、徒花 ━幕末奇譚━
「ただの間者とは違い、アレのことがある以上、非常に厄介だな……幕府の内情を知られるわけにはいかぬし、このままでは別の間者を呼び兼ねない……」
男は思案するように顎に手を添えた。蝋燭の炎が男の横顔に影を生み、瞳の冷たさが浮き彫りとなる。
この男が今、何を考えているか、少女にはわかっていた。だからこそ、少女は自ら名乗り出ることにした。
「娘の始末でしたら、私が」
何の情も宿していない声が闇の中、静かに響く。少女が立ち上がろうとしたとき、男がそれを制した。
「いや、私の方で適当に手を打とう」
「…?しかし、」
「よい。私の命でしか動かぬお前が殺ったとなると、幕府に不信を抱く輩も出かねん…。やつらの徳川への忠義、微塵も欠けさせるわけにはいかぬからな」
男は淡々と言葉を述べ、また筆を走らせた。
――武士は上への恩と忠誠心から動く。新撰組の徳川幕府への忠義を少しでも欠けさせていけないのだ。何があろうとも、絶対に…。
「それに、だ。その娘が間者であろうとなかろうと、長州間者として始末した方が全てに置いて都合が好い…」
手元の紙だけを見つめる瞳が嗤う。
「娘の始末は私に任せ、お前は引き続き、あやつの監視に就け。よいな…?」
「はい、主」
自分には目もくれずに命じた男に対し、少女は恭しく頭を下げ、その場から姿を消した。
ひっそりと、だが、確実に。渦巻く悪意。様々な思惑が交差する中、桜に喰われた少女が目覚めようとしていた…―――