凛と咲く、徒花 ━幕末奇譚━
「八尋のやつ、こんなに固く結んで」
彼はゆっくりと私の両手首を縄から解放してくれた。どうしてこんなことまで…?
自由になった腕を見つめ不思議がっていると、彼は戸に背を向ける形で座った。
「君も座りなよ」
更にこんな言葉まで添える。
出ていかないの?
「誰かが呼びに来るまで、私はここにいるよ。また逃げ出したら困るから。尤も―――」
私の心情を見透かした彼は腰から鞘を抜き、それを立てた片膝の間に抱えた。
「逃げようとしたら、斬るけどさ」
普段と同じ口調で私を脅し、笑ってみせた。とても綺麗に笑ってみせた。
残酷な言葉を打ち消すような無垢な微笑み。その微笑に、私は微かな苛立ちを覚えながらも彼の視線に促されるまま腰を下ろした。
「やけに静かだね、もっと騒いで泣き喚くのかと思った」
うっすらと赤い跡が残った手首をどこか他人事のように眺めていると、彼が口を開いた。明らかに私の反応を愉しもうとしている彼は、貼り付けた笑みを濃くする。
挑発にしか聞こえない台詞に私の冷静だった思考が徐々に溶け始めた。
「もしかして、助かったこと、後悔してるの?」
どきり、心臓が跳ねる。否定できなかった。図星だ、とでも言わんばかりに私は黙ったまま何も言えない。
「あ、そういえば。土方さんは今頃、さっき山南さんが言ってた屯所内に侵入した不審者を、尋問という名の拷問にでもかけてるんじゃないかな」
山南さんの話では、どうやらその男たちが門番を気絶させたり、私と平田の逃げ道を確保するだとか色々な細工をしていたらしい。
ここでふ、と脳裏にあの男たちの顔が思い起こされた。急激に吐き気が込み上げ、両手を口にあて、耐える。
私の知らないところで、誰かがそんな命令を下していたなんて。考えるだけで気持ち悪い、怖くて堪らない……。
なんとか吐き気は治まったものの、目にはじわっと涙が薄い膜を張った。