~秘メゴト~
 シャワールームを出ると、有が窓辺に背を預けてこちらを向いて佇んでいた。

 漆黒の髪が頼りなげな月明かりのみの暗闇に溶け込み、その下の眼は鈍く沈んでいるように見える。


「ケータイ、持ってる?」
 不意に、有が口を開く。

「…え?」

「もう、21時近いんだ。家に電話しないと心配するだろ」

「あ…はい」


 有によって壁際にきちんとハンガーに掛けられていた制服のブレザーを遠慮がちに取り上げ、姫乃は携帯電話を出して未だ震える指で家にコールする。


「送っていくから」

「え? あ、いえ。うち近いですし」


 有は首を小さく傾け、思い詰めた灰色の表情で云った。


「…責任、取らせて」

「…え?」


 怪訝そうに問う姫乃の耳に、受話器の向こうの母の声が飛び込んできた。


「あ、お母さん?」


 精一杯明るく話す。


「ごめん、部活が長引いちゃって…。今から帰るね!」

『お父さんが迎えに行くって云ってるわよ?』

「や〜だ! 近いもの、平気だ…よ」


 そう告げるや否や、携帯は有に取り上げられた。


「初めまして。夜分に失礼します。柔道部の上領と申します。…姫乃さんを遅くまで付き合わせて申し訳ありません。…僕がお宅まで送りますから、安心して下さい」


 姫乃はぽかんと呆気にとられて有を見上げる。


「はい。…では、失礼致します」

「…あの…?」

「帰るぞ」


 有は携帯を返しつつ、真っ直ぐ姫乃を見据えた。


 先程の、悪魔のような黒いうねりは、すっかり瞳から消えていた。

 そこにあるのは、いつも通りの泉のように澄んだ不思議に煌めくロシアンブルーの瞳だった。





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