散らないサクラ
その気だるそうな声に、全身の筋肉が硬直し、視界の右側から現れた男に眼光を向ける。
歩の時と同じ、聞きなれたその声にすっと瞳の奥が引く。
「……番犬」
赤髪を風邪に揺らし、ヘラヘラと意図の読めない笑みを貼り付け、俺を見る男。
ケルベロス、番犬。
心臓辺りが冷え始めるのを感じると、臨戦態勢を取ろうと無意識に立ち上がる。
宣伝用のプラカードが音を立てて地面に落ちた。
「秋、待て! ……番犬も佐倉さんに呼ばれたんだ」
「そう、そゆこと。やめてよね、なんでもかんでも噛み付こうとするの」
小馬鹿にするように笑う番犬。
それでも俺はなかなか臨戦態勢を解くことが出来ずに、まるで敵を追うように瞳は常に番犬の動向を確認する。
弥生を餌に喧嘩をふっかけられてから、こいつに会うことはねえだろうと思っていた。
勝敗も決まった。
それがひょっこり現れたんだ、何かしらの理由があるはずだ。
「番犬、てめえを許したわけじゃねえ。したこと忘れてねえだろ。……俺の女に手ェ出したんだ。殺されても文句は言えねえぞ」
本能がゆっくり、ゆっくり、俺の中で確立されていく。
ニタリ、卑しい笑みが番犬の顔に張り付く。
「……なんの用だ。てめえのことだ、なんかあンだろ。じゃなきゃ、此処には来ねえ」
殺伐とした雰囲気の中、いつ喧嘩が始まるかヒヤヒヤしながら見守る歩が視界の隅に入る。
安心しろ、こいつとはもうやり合わねえ、とは言えなかった。
返答次第では手が出る可能性は高い。
「あー、すっごく顔面ぶっ飛ばしたい! 獅子ィ、アンタさえよければヤろうよ」
心底楽しそうに声を上げる番犬に、はっ、と息が漏れる。
望みとなればいつでもてめぇとヤりあう気はある。