散らないサクラ
「あの日は実家の近くの橋の上に立って川眺めてて、確か雪が降ってたっけなぁ。……卒業式間近にプロポーズされて、散々迷った挙句、断ったの。ほら、極道を抜けても実家が極道だって事には変わりないし、その事で竜に迷惑がかかるんじゃないかって、後ろめたさもあってね。付き合うならまだしも、結婚となれば考えは変わる。その事を竜に伝えたらさ、あいつ何したと思う? いきなり橋の上から川にダイブしたの! 極寒の雪が降ってる最中だよ? 川から顔出して“俺はお前の為に死ねるよ、お前は?”って。ははっ、もう笑っちゃうでしょう。あたしも頭おかしくなって川に飛び込んでやったわよ。そしたら“返事はイエスだね”だって。あー、もうね、あたしもこの人の為なら死ねるって思った。死ねるなら、実家だとか、極道だとか、もう関係なくなっちゃって」
女の顔、いや少女のような顔が、あいつを愛しているんだ、と輝く。
「この人と結婚しよう。この人と生涯共に生きよう、一緒に死のうって思ったの」
ギシリ、と軋んだ心臓が痛みを訴える。
今なら弥生が旦那を亡くし、瞳から光りを消した理由がわかる気がする。
命をかけれるほど愛した人間は生きているこの世界と同等だ。
それなのに、その命だけが消え去り自分が残ってしまったら、“絶望”という悲しみの中で一人、生きていかなくてはいけないのなら。
……歩むことを止め、立ち止まるのも頷ける。
だが、こいつは立ち止まらずに自分なりに進もうとし、そして結局旦那の事を消化しきれずに己の中の傷を覆い隠したんだ。
だから、弥生の瞳の奥底は冷たく、暗く、そして悲しい色をしている。
それだけ、弥生にとって“特別”で“最愛”で、今でも影を追い続けるほどの人間なんだ。
「結局、病気でぽっくり逝っちゃったから一緒に年取って死ぬ事はできなかったけど、そこで竜を追って死ぬのは違うでしょう。……竜の年齢も超えて、一人、死んでいくんだって決めた」
旦那の影を追うかのように細められた瞳が揺れる。
俺はこの女に旦那と同じように、いやそれ以上に愛して貰いたかった。
だから弥生が旦那の事を話すたび、それは叶わない事なんだと思い知るのが辛かった。
“俺が最愛になる”なんて虚勢を張らないといけないほど、その事実は重く、痛く、立ち上がる気力を削いでいく。