散らないサクラ
男の真後ろにある白い扉は今でも存在を主張しているのに、俺の意思はそこに向かない。
さっきまでの考えが嘘の様に、意識は扉から遠ざかっていく。
焦る気持ちや急かす気持ちはなく、穏やかな感情が体中を巡る。
男はおもむろに目蓋を持ち上げ、少しだけ口角を上げた。
「秋羽、もっとだ。お前はまだ聞き逃してる」
「あ?」
「お前をありったけの声を絞って呼んでいる人がいる。泣きながら、声を張り上げて、秋羽を呼んでるんだよ」
泣きそうな声色の癖に、芯の篭った言葉が刺さる。
男を見れば、真っ白い空を仰ぎ、苦しむように眉間に皺を寄せながら笑った(ように見える)。
「秋羽、呼んでるぞ」
言動が気になりながらも、再び瞳を閉じ耳に神経を尖らせる。
次第に聞こえ出す、なにかしらの音。
声だ。
トーンの高い、女の声。
酷く震えていて、涙ながらに言葉を発している。
その声に心臓が鷲掴みにされたみたいに圧迫され、思わず左胸を掴む。
なんだ、この痛み。
そして、罪悪感にも似た、酷く申し訳ない気持ちを駆り立てるこの音は。
一体、なんだ。