恋する季節の後ろ髪
「うん……」
彼女はまだ少し鼻をすすりながらも、小さく頷いた。
ふたり隣り合ったカウンターでは間接光がやさしく降り注ぐ。
「ありがとう……」
「知らない仲じゃないからね。ふたりとも」
僕は2杯目の水割りを空け、
「石を投げるなら早い方がいい。グラスの中の氷が溶ける程度には速いからね、投げたい先の景色が変わる速度は」
いつの間にか小さくなっていた氷をカリコリ、と噛み砕いておどけて見せた。
その様に彼女はいつもの綿毛が風に揺れるのような微笑みを取り戻す。
「あなたに相談してやっぱり正解ね」
「人生の道先案内人というのは、案外近しい者なのさ」
「ふふふ。ほんとうね」
店を去り際、彼女は「授業料くらい払わせて」とハンドバッグを開けようとしたけれど、
「ライスシャワーというやつを僕はまだみたことがないんだ。後学のために見せてくれないか? 代金はそれでいい。ほら、かつては収める税は米だったわけだし」
そういってみせた。
「キザね」
「“気に障る”かい?」
「まさか」
「ならそれはキザとはいわないさ。ただの性分」
ドアが開き、閉じられる。
そして見晴らしの良くなった左の席に背を向けて、僕はマスターにこういった。
「さっきと同じのを……ロックで」
マスターはそれまでと変わらぬ姿勢と雰囲気で、
「かしこまりました」
短く、そう答えるのだった。