恋する季節の後ろ髪
温度は触れられるから感じられる。
温かく感じたならまだ触れられる距離に愛があるということで。
何も感じないなら、それはもう手の届かない距離へと離れてしまったということなのだ。
その違いに気付いて。
残念ながらまだ愛情があることに気が付くと。
ため息が多くなっても。
愚痴が多くなっても。
記念日を期待しなくなっても、それでも。
(明日のお弁当、何にしようかな)
とか、
(今度の休み、あのかわいいジャケット買おうかな)
とか考えつつ、
(ついでにネクタイでも買ってあげようかしら)
なんて思ったり、
(あ、そろそろ髪切ってきなさいっていってやろう)
一見すると悪態。
けれどそんな悪態の裏っかわに、
(まったく、世話がやけるんだから)
愛情がしっかり隠れてたりすることに気付いたりするものなのだ。
恋はたぶん、泉の上の方。
太陽に照らされて、何もなくても笑顔になるくらい温たかくてきらきらしてて。
でも愛は泉すべて。
表面だけじゃなくて、深い深い所まで含めて、すべて。
陽が当たらなくて、暗くて、冷たくなってる所まで含めて、すべて。
だからときどきは“かきまぜる”努力をしないと底の方にいろいろ溜まってしまうものなのだ。