恋する季節の後ろ髪
「あの、大丈夫、ですか?」
馬鹿笑いの隙間をすり抜けて届いた声。
どこかそよ風を思わせる控え目なその声は、同僚の女の子のものだった。
陰鬱な世界に足を突っ込みかけていたせいか、
「へい?」
俺は呆けた返事と共に彼女に顔だけを向ける。
「あ。いえ、あの、酔って気分が悪いのかと、思って……」
責めたつもりはないのだがなぜか彼女はおどおどとした表情で上目使いにそういった。
あぁ、しまったな。
表情が不機嫌そうだったか。
「いや、大丈夫だよ。ありがとう」
そういおうとしたつもりだった。
けれどなぜかそのとき、俺はまったく別のことを頭に浮かべ、口をつぐんだ。
それを彼女はさらに誤解したのだろう、
「あの……ごめんなさい」
しゅん、と肩を落としてもとの席に戻っていった。
浮かぶ申し訳ない気持ち。
しかし、それを覆うようにして浮かぶ、もうひとつの気持ち。
薄桃色のカーディガンの上でしんみりと揺れる彼女の黒髪を見つめながら俺は、
(綺麗だな……)
そう、胸の内でつぶやいた。
「ふっ……」
年甲斐もないという程年をとったつもりはまだないが、いささか青臭い。
「や~れほいほいさ~」
「あっはっはっやだ部長~」
「がっはっはっはっはっ!」
「いよっ、大根役者!」
「あはははは!」
「わはははは!」
上司や同僚たちの楽しげな笑い声を羽織り、
(もう少し、呑むかな)
紙コップに手酌で酒を注ぐ。
すっかり常温になった酒はするり、と喉を滑り落ちると風になびく後ろ髪のようにやわらかな薫りを立てて鼻を抜けた。
どうやらもう少し、楽しめそうだ。