残り香
「そろそろ時間です、中へお入りください」
すこし浅黒い、健康的と行った方がいいのかな。
30代前半と思われる女性が、美容室の店内から外へ向かって声をかけた。 
 10坪程の店内の中央に小さめのテーブルと独りがけのソファーを頂点に、放射状に椅子が並べられている。
百合の花の強い香りが店内に香っていた。
花粉が服に着くと厄介だ。
簡単に取れない。
店内を見回してみる。
入り口に近い一番手前の列の後方に席をとり座ることにした。
途中退場がし易いように。
谷崎が前方の椅子を勧めているようだ。
手招きしている。
首を振り、お断りした。
もちろん真剣に聞く気など無いから。
 席がすべて埋まったことに驚かされる。
入り口にはロールスクリーンが、ガラス戸には二枚のブラインドがかかっている。
それらがそれぞれ下ろされる。
途中退場がしにくくなった。
「セミナー中は私語、飲食を控え、携帯電話の電源はOFFに!」
司会者だと思われる女性が、協力を求めた。
先ほど店内から声をかけていた、健康的な肌の色をした彼女だ。
その子は続けた。
「このビジネスで大きな成功を収めた杉本さんです」
60歳くらいで白髪まじり、口ひげをキレイに整えた、
小柄だが均整のとれたスタイルのダンディーなおじさまだ。
「寒くないですか?」
前列のご夫人に杉本の渋めの声が掛かる。
彼女の頬が少し赤らんだかもしれない。
 体系にキッチリ合った仕立ての良いジャケット。
手入れが行き届き、大切に扱っているであろうウイングチップの革靴。
その靴に絶妙な長さで良い具合に裾がドレイプしているパンツ。
お金のない人はこうはいかない。
上着を脱いで司会者の彼女に手渡す。
店内は暖房が効いている、少し顔が火照る程度に。
ピンホールのシャツの襟も糊が程よく効いて、プレスもしっかりしている。
ネクタイのセンスもいい。
カフスもシャレたものを選んでいる。
そして腕時計は機械式のアンティーク。
身に付けている物には全く隙がないといっていい。
 常連なのだろうおばさまたちの好奇な視線が、杉本に注がれている。
このような人物を本来警戒するべきなのだろう。
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