雪女の息子
壱 阿弥樫町
深夜。
阿弥樫町は昼間の穏やかな顔を捨てて牙をむく。
幼女が懸命に走って追う者から逃れる。
追うのは血まみれの女。
だがその姿は人ではない。目は血走り、血に汚れた手から鋭い爪が伸びる。
体は血で汚れた羽毛に覆われ、背中に翼があった。
人ではなく、鳥でもない。化け物である。
幼女は小さな足で何とか逃れようとし、路地へ逃げる。
だがその路地へ逃げたのが大きな失敗となった。
「きゃぁっ!」
壁にぶつかってしまった。行き止まり。追い詰められた
追う足音は大きくなってゆく。
その時――
「安心しな、お嬢ちゃん」
男の声が風を割って飛び込んだ。
幼女は声のする方を見上げた。そこには一人の男がいた。
漆黒の髪に同色の瞳。鋭い瞳は足音の方向を見つめる。
そして女が現れた。女は男を視界に入れたとき、血走った眼で睨みつけた。
男は睨まれても鼻で笑って返し、一枚の紙を手に取る。
「姑獲鳥(うぶめ)か……」
紙を女、姑獲鳥に投げつけた。
その紙が額にふれると、男は人差し指と中指を立てて、念じた。
「縛」
瞬間、姑獲鳥の体に電気の様な衝撃が走り、そのまま硬直した。
動きを封じられた姑獲鳥はただただ男を見つめるだけだった。
しかしその眼にこもる感情は、恐れ。その男を恐れていた。
「俺が怖いか? 安心しぃ、もっと怖い奴が現れるわ」
そう言って男はあまりの出来事に呆けていた幼女を抱き抱え、去って行った。
動けない姑獲鳥を待つのは、さらに恐ろしい者。
逃れることのできない恐怖。
それは思うよりも早く訪れた。