溺愛結婚!?~7つの甘いレッスン~
健吾さんが言う再会の時に見せられた濠の様子は今でもはっきりと覚えてる。

心臓の手術の後、高校を一年留年していた私は当時大学二回生で建築の勉強をしていた。

小さな頃から、家を建てたり造成をしている現場を見る事が大好きで、自分でも図面や設計図を遊び半分に書いていた。
お花や虫、お友達の絵を描くよりもビルの建築現場の鉄筋の絵や足場の絵を描く珍しい幼稚園児だったと母さんは苦笑いしながら話したことがある。

そして心臓の回復後、将来どういう道に進むかと
考える時期になった時にも、迷わずに建築を学べる大学への進学を決めた。

再婚をして幸せに暮らす母達の家から離れて一人暮らしを始めたのも大学に入ってから。
義父の美容院を手伝っていた母の代わりに家事をそれなりにこなしていた私には、一人で暮らす毎日に不自由はなくて。

思う存分に建築の世界に浸りながら…というより建築のみの生活を送っていた。

大学で、相模さんの講演を聴く機会があって。
興奮が冷めないままに同じクラスの仲間達とご飯を食べに入ったお店で。

突然掴まれた腕の痛さは今でも忘れない。
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