童話少年-NOT YET KNOWN-


朝食を食べる時間を省いたせいか(とはいえ桃恵もあの様子ではきっと用意すらしていなかっただろう)、弥桃が自分の通う中学校に到着したのは、校門が閉まる直前だった。
正面玄関に滑り込んだと同時にチャイムが鳴り出したが、校舎に入りさえすれば遅刻扱いはされないので、そんなことはお構いなしにだらだらとほとんど無人の廊下を歩く。

そうして扉を開けたとき、すでにHRは始められていて、弥桃は教室中の視線を浴びることになった。

「……また遅刻か。お前は玄関から教室までを歩くのだけが異様に遅いのか、それともどこを歩いてもそうなのか、一体どっちなんだ?」

教壇に立つ中年の男が、まだ健気に毛髪が残る広い額に僅かな青筋を立て、皮肉めいた口調で説教を吐く。
彼が今朝、弥桃と母の会話に上った碓井(うすい)教諭だ。

「あーすいません、……ちょっと廊下に時空の歪みが」
「今度は時空か? 昨日は母親がマフィアに攫われそうになった、その前は確か朝っぱらから暴力団と武器商人の拳銃密輸の取引現場に遭遇した、だったな」
「違います。母親を誘拐しかけてたのが暴力団で拳銃取引がマフィ」
「、どっちでもいい! 何なんだ、そのふざけた言い訳は!」

額に浮かんだ血管がぶちりと破裂しそうな形相で、唾を吐き散らしながら怒鳴りつける。
しかしそんな怒りをものともしないのが弥桃である。

そして、そんな教師を舐め腐った不敬な態度を取る問題児がこのクラスに彼一人だけではないことが、碓井の元々(らしい)頼りない頭皮に脱毛症を引き起こす要因となっていた。

「弥桃ー、そういう言い訳は真顔で言わなきゃ駄目っつったろー? ちょっとにやけてんじゃんお前」
「あ、おはよ紗散」
「はよーッス!」

教室の、窓際の列の後ろから二番目、弥桃の隣りの席。
口調は少年のようだが姿を見れば、目を見張るような美少女だ。
名前は央神 紗散(なかがみ さちる)。

後頭部の高い位置で纏めて結った長い黒髪と、真直ぐに切り揃えた前髪。
そこから覗く大きなつり目がちの瞳が、意志の強さを印象づけている。
そして華奢な肢体の所々に目立つ包帯や絆創膏は、空手有段者である彼女の、名誉の負傷、という名の、試合や喧嘩で拵えた傷。
男勝りや活発、珠にキズなどという言葉では表わしきれないお転婆さなのだ。



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