淡い記憶
「失礼します」  
青木が体育教官室に入って行く。陽一郎は、後に続いた。
黒いジャージを着た秦野教師が机に向かっている。
「先生、今日、水に入るんですか?」
「どうする?」
青木を振り向き、これも決断しがたい様子である。
「風もないし、少しの時間なら、いいとも思いますけど……」

 そう青木は言ったが予定していたとはいえ、
雲っているし温度も上がっていない水は、
冷たいだろうなと考えながら、陽一郎は、
もう入らないでいいならそれで良いかと思っていたのに、
青木は泳ぐつもりなのかと思い、でも、筋トレは、嫌だと思う。
「そうだな、少し入って様子をみるか」
 秦野は曇りの空も見ずに言った。  

教官室を出て部室まで行く道は、
まだ下校の生徒が慌ただしく往来し、クラブへ行く者、
帰宅組はそれぞれに帰って行く。
広い自転車置場の前は人が溢れ、
通りすぎる間でさえ、だんだんと自転車と人が少なくなっていく。

「寒いぞ」陽一郎は、恨むように言った。
「入ったらそうでもないさ」
「元気だな」
「泳ぎたいんだな」
 青木は自分を分析するように前方を見ながら言った。

陽一郎は、そうか泳ぎたいのかと妙に納得した。
そういえば自分もずっと泳ぎたかったのだ。
冬の間、時々、公共の温水プールに行ったほかは、泳いでいない。

青木と同じように、
泳ぎたいと思っている自分がいることを確かに感じていたのだ。

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