あなたへ。
このファミレスは、高校時代の学校帰りにまどかや千晶とよく寄ったところで、お馴染みの店であった。
でも、こうしてテーブルに向かい合って座っているのが明と言うだけで、違った場所に思えてしまう。
なんだかソワソワして、落ち着かない。

「杏子ちゃんってさ、おとなしいんだね」

杏子ちゃん。

明に、あたしの名前を呼ばれた。
それを聞いた瞬間、心臓が大きく跳ね上がり、無理矢理口に詰め込んでいたハンバーグを喉に詰まらせた。
注文したものは、明が選んだハンバーグとサラダとライスのセット。
本当はミートソーススパゲティが食べたかったのだが、緊張して注文伺いのウェイトレスにさえまともに話せず、「同じものを…」と呟くしか出来なかったのだ。

「えっ、大丈夫かい?水飲んだ方がいいよ」

明と言えば、本当に空腹だったらしく、ハンバーグとサラダとライスのセットを僅か数分で食べ尽くした後だった。
気持ちの良い食べっぷりを見せた後、こうしてドリンクバーのコーラを優雅に飲んでいた。
本当にコーラが好きなんだなぁ。

「あはは、すいません…」

明に言われた通り、水を飲みながら苦笑いして謝る。
別に明はおかしな事を言っていないのに、謝るなんて変だよな、と頭の片隅でそう思った。

「謝らなくていいよ」

案の定、明はそう言った。

「あ、ありがとうございます…。今あたし、緊張していて…」

「緊張?」

明はコーラを飲む手を止めると肘をテーブルに付き、顔の前で両手を組んだ。
そして真っ直ぐにあたしを見つめる。
この射るような視線は、ライブで見せるものと同じだ。
またあたしの心臓が高鳴り、顔が耳まで赤くなるのを感じ、それを明に悟られたくなくて、俯こうと思ったら−…。

「緊張しなくていいよ」

とにっこり微笑んで言った。ライブでは見る事の出来ない、優しげな表情だった。
その表情と一言に、あたしはホッとした。

「まだ時間あるし、ゆっくりでいいから食べて。あ、水もうないね。何か飲む?」

「あ、じゃあウーロン茶を…」

「わかった。持ってくるよ」

あたしが答えると、明は席を立った。
そんな、さすがに明にドリンクを持ってきてもらうなんて恐れ多くて−そう言えばこの水も明が持ってきてくれた−「いや、そんな、自分で行きます」と慌てて止めようとしたら、

「いいんだよ。ちょっと待ってて」

また笑ってあたしの頭をポンポンと撫でた。
なんて紳士なんだろう。
他にも、ここに入店する際、ドアを開けて先に入らせてくれた。
先に席に座らせてくれた。
真っ先にメニューを取ってあたしに向けて見せてくれた。

あたしを、一人の女性として扱ってくれている。
あたしの料理は、まだ半分以上残っていて、もう食欲なんて湧いてこなかったのだが、奢ってくれると言う明に悪いので無理矢理全部平らげた。
もうしばらくハンバーグは食べたくない。
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