あなたへ。
久し振りに訪れたまどかの家は、とても快適だった。

自宅のあたしの部屋の広さは六畳だが、まどかの部屋はその倍はあるだろう。
可愛らしいファンシーなインテリアに囲まれて異彩を放つそれは、あたしと千晶を天国へと誘った。

「涼しい…。やっぱ家にエアコンあるといいね〜」

千晶はまどかのお母さんが淹れてくれたアイスティーーを飲みながら、感慨深い口調で言った。

実にその通りである。まどかの部屋にあるエアコンは、実に心地良い空間をあたし達に提供してくれている。
ここ一週間、ずっと日中の最高温度が30℃を越える真夏日が続いている。
今日も今日とで、それは例外ではなく、屋内野外問わず、どこにいても暑い。動かずじっとしていても、身体中の毛穴からぶわっと汗が吹き出してくるのがわかる。

「本当羨ましい…」

あたしもそれに賛同する。

初めて明と手を繋いだデートから、三日後の木曜日の昼下がり。珍しくあたし達三人の休日が一致した。
あたしのバイトは、1ヶ月ごとに休みが決まるシフト制で、たまに土日が休みになる場合もある。
まどかはお小遣い稼ぎのバイトを週二回程度にしかしていなく、千晶は学校が夏休みの今は短期のバイトをしていると言う。

「そんな事ないよぉ。ママってば最近ケチだから、あんまりエアコンつけるなってうるさいし」

まどかはそう言いながら、お母さんお手製のスコーンを口に運ぶ。
まどかのお母さんは、美人で物腰が柔らかくいつもニコニコしていて、身なりもいつもお洒落にしている。
まさにお金持ちの家の専業主婦と言う感じだ。
いつも終わりの無いパートと家事労働に疲れ果てながらも、髪を振り乱して働くうちのママとは雲泥の差だ。

「って言うかさ…」

まどかがニヤッと笑いながらあたしを横目で見る。
三人で囲んでいる高価そうな木目調のローテーブルの上には、フェニックスのライブ告知のチラシが置いてあった。

「ホントにもう、杏子ったら!いつの間に、こんなカッコイイ人と付き合ってたなんて!」

そんな感嘆の声を上げて、まどかはあたしの腕を肘でつついた。明と会った日の翌日、あたしから二人に「報告したい事があるし、久し振りに三人で遊びたい」とメールを送ったのだ。
遊ぶ場所は、街の中心部でも良かったのだが、今は夏休みで若者が行きそうな所は何処も混んでいる。
それで千晶が「なんなら、まどかの家に涼みに行こっか」と提案してくれ、まどかも二つ返事で了承してくれた。
ちなみに、あたしと千晶の家にはエアコンなんてものはない。

「え…それは…」

まどかに冷やかされ、あたしはどう反応していいかわからず赤面する。
この二人は以前から、あたしがフェニックスのファンだって事は知っていたが、まさかそのメンバーと付き合うなんて、これっぽっちも想像していなかったであろう。
明との交際を報告すると、期待通りに二人は大いに驚いてくれた。
まどかは悲鳴に近い声を上げ、千晶も目を大きく見開き「マジで?」とあたしに聞いた。
これもまた期待通りの反応である。

「ホントにそんな事ってあるんだねぇ…。この明と」

千晶はすっかり感心した面持ちで、チラシに載っている営業用の顔をした明をしげしげと見ている。

「うん…。あたしも信じられない…」

「信じられないって、今実際に付き合ってんじゃん!そっか、杏子はこのフェニックスにお目当ての人がいたのね」

まどかは、本当に楽しそうで目を爛々と輝かせている。

「いや、さっ、最初はそんなんじゃなくて…。最初は本当にフェニックスの音楽が好きで、その中でも明がカッコイイって思ってて、それで…」

「んもぅ!それをお目当てって言うんでしょ〜」

今度はまどかに両方の頬をペチペチと叩かれる。今日はずっとこんな扱いだろう。少しばかり不本意だが仕方ない。

「…それでさ、実は二人にお願いがあって…。」

あたしが静かに切り出すと、二人は黙って聞く姿勢に入ってくれた。
普段はどんなにふざけていても、こうやってあたしの話を聞く時は、いつも真剣に耳を傾けてくれる二人。
それは高校時代から少しも変わっていなく、あたしは数は少ないながらも、良い友人を持ったなぁとしみじみと思った。

「来週の水曜日に、フェニックスのメンバーで海水浴に行くけど来ないって誘われてて。それであたし、明以外の他のメンバーとは、初対面で、なんか緊張するって言うか…。
そしたら明が、友達も連れてきていいよって言ってくれて…」

そこまで言って、改めて二人の顔を見直すと、まどかと千晶は顔を見合わせている。

「…一緒に来てくれる?」

そう言い終えると、あたしはゴクリと唾を飲んだ。
二人はお互いの顔を見合わせた後、今度はあたしの顔を無言でしばし見つめて−…。

「あービックリした!お願いがあるって言うから、何かと思えばそんな事〜!
いいよぉ、あたしの大事な杏子の為だもん、行くに決まってんじゃん!」

そう言ってまどかは満面の笑みを浮かべてくれる。
しかし、その一方で千晶はテーブルを拳で軽くコンコンと叩きながら、難しい表情を浮かべている千晶。

「…千晶は?どう?用事とかある?」

「いやぁ、その日は全然ヒマだから、行けるけどさ…」

あたしが恐る恐る訊ねても、千晶の反応は芳しくないままだ。
どうしたんだろう?あたし、何か気の触る事でも言ってしまったんだろうか?

「千晶も行くでしょ?もしかしたら、他のメンバーともお近づきになれるかもしれないじゃん!ホラ見てよ、皆こんなにカッコイイじゃん。特にこのヴォーカルの海なんか、超イケメン〜」

「確かにその海って人は、女にしか見えないね」

すっかりその気になり、はしゃいでいるまどかとは対照的に、仏頂面のままの千晶。

「…杏子、大丈夫なの?」

「え?」

千晶の目が鋭くあたしを射る。

「…実はあたしも、杏子の悪口が書かれていたっていう掲示板サイト、見たことあるんだ。そう言っても大分前だけどね」

二人には明と付き合う経緯として、雛妃達との間に起きた出来事の一部始終も簡単に話した。二人とも「そいつらマジで最低だね」と吐き捨ててくれた。

「その、ギターの明って、かなり女癖悪いんでしょ?ファンの子に次から次に手を出したり、彼女がいてもすぐ浮気したり…。それは海もらしいけど」

千晶もあのサイト、見ていたとは。あたしは少し意外だった。
高校時代からいつもクールで、周りからいくら慕われてても、「あたしはあたし」と超然としていたあの千晶が、あんな低俗なサイトを見てたなんて。
周囲の人間の噂話や、その関係の移り変わりにいつも興味津々のまどかはともかく、千晶は他人にあまり関心がないと思っていたから。

「え…。それは…。」

あたしはその問いに、きちんとした回答を出来ず、しどろもどろしてしまう。
確かにその噂は気になるが、まだ明にそれを聞いていない。どうして雛妃と別れたのかもまだ聞けてはいないのに、どうしてそんな高度な質問が出来ようか。

「まぁ確かに、バンドやってる人は遊び人が多いって聞くよねぇ…」

まどかも千晶の言葉に納得した様で、先程のテンションの高さもどこへやら、真顔で頷いている。

千晶はあたしを心配してくれているんだ。
その気持ちは、凄く嬉しいし、ありがたいと思う。やはり、何と言っても火のない所に煙は立たないのだから。
でも今は、あたしは明が好きで、明もあたしを好きだと言ってくれている。
その時の明の優しい表情や眼差し、繋いだ手の温かさは、そんなあたしを騙す様なものではないと信じたい。

その様な事を、ゆっくりと時間をかけて二人に伝えた。

「…まぁさ、ホントに明が噂通りの悪い奴なら、その追っかけのリーダーに捕まった杏子を、助けに来たりしないよね。だってめんどくさいじゃん。どうでもいい女助けるなんて」

まどかは溜め息を一つつくと、あたしに倣う様にゆっくりと話した。

「…そうだね。それはそうかもね。杏子、なんか変な勘繰りしちゃってゴメンね」

そう言って千晶はあたしの方を向き直り、申し訳なさそうに謝った。

「ううん…。心配してくれてありがとう」

「あたしも行くよ、海水浴。若いうちに色々楽しみたいしね」

「本当!?ありがとう千晶、まどか!!」

あたしは二人の快い返事に感激して、お礼を述べた。
これでフェニックスの海水浴に行ける事ももちろんだが、この二人とも楽しく過ごせると思うと一気に楽しみになった。

「よーし!そうと決まったら、これから水着買いに行かない!?」

まどかが甲高い声を上げ、あたしと千晶に向き直る。

「いや水着は…ちょっと…」

「何言ってんの杏子。ここで可愛い水着を着て、明を惚れ直させないと」

「えぇ…そんな…」

まどかはすっかりその気で、黄色のキャミソールワンピースの上から、上着のGジャンを羽織り始めた。

「二人とも何ボーっとしてるの。これから買い物行くよ!ほら、千晶も!」

「あたしはいいよ…。買い物には、付き合うけど」

千晶は面倒臭そうに答え、最後の一個のスコーンを手に取った。

「そんなおやつなんていいから!行くったら行くの!」

まどかに強引に外に連れ出される千晶とあたし。
水着を着るなんて、凄く恥ずかしい…。
でも、もし明が見たらなんて言ってくれるかな?
それを思うと、なんだか楽しみになった。
もっともっと、暑い夏になれと思った。
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