空蝉
 日常、習慣。あってないようなもの。もしこの生活の中で、それを挙げるとすれば…凄く他愛もないもの。
歯を磨きながら、鏡に映る姿は最悪だと彼はぼんやりと思った。まだ覚醒し切らない脳では、今日のスケジュールを思い出すのは困難で。他力本願とは知りつつも、もう間に合うことのない待ち合わせ場所にいる人に聞くしかない。
歯を磨いて、顔を洗って。まさに、これが本当に日常。当然の一日の始まり。間違っているとすれば、それは正午を過ぎているということ。時間だけは無情に過ぎていて、過ぎた時間をもったいないと思う自分を呪うのも彼の頭の中だけ。
「最悪…」
誰に聞かれるわけでもない。自分の愚かさが音になった。
待ち合わせの時間まであと30分。
どんなに急いでも取り返せるわけではないとわかっていて、鏡越しの時計を見るのみ。
一通り済んで、部屋に戻って出かける準備。かばんの中身は昨日のまま。特に、中身を変える必要はないけれど、タバコの残数だけ確認。昨夜寄ったコンビニでタバコを買った記憶はない。
「タバコと…」
遅刻決定。それでも寄り道が一つ増えた。自分のタバコと、待ち合わせている人のタバコも謝罪の意味を込めて買っていこうと考えて、充電していた携帯を手に取ると、
「着信?」
小さな点滅と、ディスプレイに着信の表示。そして、メール。
まだ待ち合わせの時間ではないことを思わず確認して、着信履歴を開けば5分前。そこにある名前は彼がこれから会う人間。
(きっと、メールも…)
予想を立てて開いたメールも同じ名前。
そして、思わず彼は笑った。
メールの内容は、
『ごめん。今起きた。遅くなるから。』
簡素な内容で、件名は昨日最後に送ったメールを返信しただけの様子。Reがいくつも続いたままだった。どれほど慌てているのかが目に浮かんで、先程まで鬱々としていた彼から笑みが零れた。
そして、どちらが先に到着するか。
「先だったら、飯奢ってもらお。」
携帯をたたんでポケットに放り込み、彼は急いで家を後にした。






(続くかもしれない)
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