マヨイガの街
様々な迷信が信じられていた彼女の世界と違って、
進んだ学問を思想のよりどころとするこちらの住人たちの世界には、もはや天狗は存在することができない。

加えて、「江戸」では鎖国政策がとられ、日本国外への人の行き来は制限されており、それは懐古都市計画においても非常に都合が良かったようだが──

この「東京」では、常に国を越えた人の行き来があるため、向こうとは根本的に管理の仕方が異なるようだった。

彼の話によると、ここでは管理局の人間は例えば空港や港といった施設を管理し、海外へと向かう者たちには記憶操作により偽の記憶を植えつけて「帰国」させるのだそうだ。

また「江戸」とは異なり、海外からの観光客という名目で容易に外部の人間も訪れることのできるこの時代の懐古都市は、観光地としても盛況なのだそうで、別の都市や惑星から様々な民族の人間たちも訪れる。

住人たちには身分を隠し、世界の真実を隠したままで。

このように人の出入りが常にある都市だからこそ、潜伏先にも適しているのだそうだ。

東京時代を再現したこの国ではファッションとして髪を染めたり、瞳に色を付けたりということも行われていて、彼女の亜麻色の髪や金の瞳も目立たない。

他にも彼女のような事情を抱えた者たちが隠れ住んでいるらしく、
天狗の職務を通して彼が激闘を繰り広げた末に友人となったとかいう者のもとで、
近いうちに働かせてもらえることも決まっていた。

今はほとんど、彼が天狗の収入で養ってくれている状態なので、彼女とていつまでもそれに甘んじているわけにはゆかない。

自分はそれでも構わないと言ってくれる彼の気持ちは嬉しかったけれど。


彼女はハッとして、携帯を打っていた手を止めた。

画面がメールの受信中であることを示すものに変わり、あの後、天狗としての「朔太郎」という名前ではなく、本当の名だと言って教えてくれた彼の名前が液晶に映し出された。

彼からのメールは、今マンションの近くまで来ているからすぐに部屋に行くという内容の短い文章だった。

目にした途端に彼女の心は舞い上がってしまって、近くの鏡を覗き込んで軽く髪の毛を手櫛で整えたりして……

どうやら吊り橋の効果というのは、まだ健在らしかった。
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