夜叉〜yasha〜
…波の音がする…
笑い声が混じっている…
暑さはない…
ただ、ぬくもりはある…
紗由里がこっちを向く…
俺は笑う…
すると紗由里が笑い返す。
手を伸ばす…
遠ざかる…
見えなくなる…
暗くなる…
……
………目が覚める。
夕日が、白いカーテンを通して部屋一帯を紅く染めている。
目の腫れは引いていた。
体のだるさは、腰を起こすと次第に治まっていった。
俺は、懐かしさに浸りながら、
無意識の内に車を走らせていた。
目的地も決めていない。
ただ、本能に身を任せてハンドルを回していくと、
…海沿いの道に出てきた。
その道をしばらく進むと、
夕日が海に沈むのを一番きれいに見れるポイントに辿り着いた。
俺は車を降りて、砂浜にポツンと置かれているベンチにゆっくり腰を掛けた。
そして、紗由里と見た夕日のことをしみじみと思い出していた。
病院を抜け出して見たあの日の夕日が、
今またゆっくり沈もうとしていた。
それはまるで、別れを悟っているかのようだった。
白血病と必死で戦った紗由里に、
俺は何をしてあげられたのだろう。
「頑張れ、頑張れ」って、
俺はいつもそれしか言ってなかった。
言われなくても紗由里は頑張ってたよね。
俺が、もっと良い言葉を贈っていれば…
夕日は完全に沈んだ。
赤い世界はたちまち黒い世界へと変わった。
その瞬間、後悔の念が俺を襲った。
激しい後悔は、また涙腺を破壊した。
涙が止まらなくなってしまった。
情けなくて、馬鹿で、
もうどうしようもなかった。
すると、後ろから
車のエンジン音が切れて、ドアが開く音がした。