屋上の鍵は机の中に
春についての記録
桜が咲き始める季節になると、どこに潜んでいたのか、思い出したかのように体の内に溢れて胸を締め付ける何かに気が付く。

それは、寂寥にも似た感情。

体の底に沈んでは四季の始まり毎に浮き上がり、僕を記憶の海へ誘っていく。

毎年繰り返されることなのに、僕は律儀に忘れている。

胸の違和感が何であるのか。

すぐに気が付くことができず、いつもはじめは戸惑う。

きっと、こうして書いていても来年の春には覚えていないだろう。



春のぼんやりとした空気の中でまどろんでいると、急に既視感に襲われることがある。

続きを知っている。僕は名前を呼ばれながら揺り起こされるのだ。

しかし、予想は訪れない(偶然起こされることはあるけれど、違うと確信できる)。

それは、既視感ではなくて夢なのだ。

記憶の合成物。

月日が経つにつれてその鮮やかさは薄れて行くものの、愛しさはそれに反比例する。



桜を視界に広げたとき、目を閉じてみる。

瞼の裏に浮かぶ君の姿はあの時のまま、桜色の中で儚げに微笑んでいる。

その瞳に強い意志が映っていると気が付いたのは、出会ってからずいぶんと後のことだった。

初めは寄り添っていると思っていたけれど、実は君に包まれ、守られていると気が付いたのも、同じ時期だったように思う。

僕は強くて美しい君に憧れて、同じようになりたいとねがっていた。

でも、今はそうではない。

求められているものが違うとわかったから。



あの日、桜並木で君とすれ違ったその瞬間から、僕の世界は色づいた。

君が纏う空気から広がるように、モノクロがカラーに変わっていくのが目に見えたと言っても過言ではない。

その瞬間に僕は救い出された。

久しぶりに僕の中に入り込んだ風は全身を駆け抜け、一気に染めていった。

静かに淀んでいた視界は色に侵食された。

もう元には戻れない。

君がいるから。

君が教えてくれたから。

だから僕は君を放すわけにはいかないのだ。

ずっと。

ずっと。


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