ぼくたちは一生懸命な恋をしている
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。文庫本は最初に開いたページのまま、一行も読み進めることができなかった。こんな調子じゃいつ読み終わるか分からない。ため息をついて、そっと本を閉じた。授業には集中しないといけない。
五限目は現国。担当の先生が入室してきて、生徒が整然と着席する教室を見渡すと首をかしげた。

「百瀬さんは欠席?」

その名前に、空気が張り詰める。彼女が百瀬かなでの妹だと判明したときから、みんな彼女には否応なく反応してしまうのだ。

「四時限目までは、ちゃんといましたよ」

「今月は保健委員の当番らしいので、その関係で遅れてるのかもしれません」

「たしかに、さっき保健室で窓ふきしてる百瀬さんを見かけました」

次から次へと報告があがる。特に彼女と親しくもない人間たちがこれだけの情報を持っているという事実を、きっと誰も疑問に思っていない。
ざわついているところへ、話題のその人が息を切らして駆けこんできた。

「す、すみません!保健委員の仕事が長引いて……、本当にすみません!」

一転して静まり返った空間に、やたらと恐縮した声が響き渡る。みんなが彼女の一挙手一投足を注視している。本人は気づいていないようだけれど。

「あら、お疲れ様。委員会じゃ仕方ないわね。さあ、席に着いて」

先生も、たぶん彼女を通して百瀬かなでを見ている。普段はこんなに甘い声を出す女性ではない。
滞りなく授業が始まる。
このクラスは異様だ。


最初の自己紹介の時点で、一度はその苗字に注目が集まった。百瀬という苗字は、そうありふれたものじゃない。でも名乗った彼女を見れば、おとなしそうで、慎ましやかで、同じ苗字を持つきらびやかな王子とは似ても似つかない。王子には子役だった兄以外に兄妹がいるとは聞いたことがないし、彼女自身からも特に言及はなかったから、きっと何の関係もない同姓なのだろうと、すぐに忘れ去られた。

彼女は、あまりクラスに馴染めていないことさえ誰にも気づかれないほどに控えめだった。そういう子を見ると生来の正義感がうずく。移動教室のとき、授業でグループを作るとき、お弁当を食べるとき、私は何かにつけ彼女を気にかけた。

声をかけると、決まって彼女はとても驚く。そして少し申し訳なさそうに微笑んでこちらの善意を受け入れてくれる。悲壮感はない。独りぼっちでも、どこか幸せそうにすら見える不思議な子。だから私は彼女との距離を測りかねていた。

ところが、ゴールデンウィークが明けてすぐに、王子がA組へやって来てから事態は一変する。

彼女が、あの王子と、親しげに話していた。初めて見るような柔らかい笑顔で。その様子を、私を含めてその場に居合わせた全員が呆然と眺めていた。
ひとしきり談笑した王子は、近くで固まっていた女子のグループに声をかけた。

「あのね、あいりはオレの妹なんだ。似てないけどオレたち双子なの。ちょっと抜けてるとこがあるからさ、あいりのことよろしくね」

よく通る声は、このクラス全員の耳に届く。どれくらいの人間が気づいただろう。それがお願いではなく、牽制だったのだと。
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