ぼくたちは一生懸命な恋をしている
クラブ活動の帰り、まだ空に明るさが残っている。ずいぶんと陽が長くなった。コンビニで買った卵を片手に夏の気配を感じながら歩いていると、アパートの入口で偶然、秋山のおばさんと会った。

「円香ちゃん、おかえりなさい。あら、女の子の夏服は可愛いわね」

「ワンピースなんです。めずらしいですよね」

「いいわねぇ。男の子はただの半袖シャツで面白くないのよ。アイロンかけるのも大変だし、やんなっちゃう」

昔から変わらない、明るくておしゃべりが好きな可愛いおばさん。

「自分の制服は自分でちゃんとしなさいって言ってるのに、隼ったら全然聞かないのよ。髪の毛は毎朝バカみたいに丁寧に整えてるクセにね。昔はあんなに可愛かったのに最近はほんと生意気。それに比べて円香ちゃんは昔と変わらず良い子ね。しっかりしてるし。円香ちゃんがお嫁に来てくれたらいいのに」

ずくり、胸が痛む。私たちの関係が昔とはずいぶん変わってしまったことを、おばさんは気づいていない。たわむれの言葉が、今の私には、つらい。

「私より、もっと可愛らしいお嫁さんが来てくれますよ、そのうち」

やけに確信めいた声色に、おばさんが不思議そうに首をかしげる。なにか聞かれては困るから、有無を言わさぬ笑顔で会釈をしてその場を後にした。


私より、もっと可愛らしいお嫁さんが。
自分で言っておきながら、結構しんどい。そのときは、いつか絶対やってくるのに。

暗く静かな玄関に、ため息が沈んでいく。両親は共働きで帰りが遅い。今夜は作り置きのカレーを食べるようにと書かれたメモをテーブルの上に見つけた。卵を冷蔵庫に入れて、自室で着替える。褒められたばかりの夏服を脱ぐと、姿見の中の自分と目が合った。

痩せて抑揚のないこの胸や腰が大嫌いだ。ただでさえ平均よりずいぶん高いのにまだ伸び続けている身長にも吐き気がする。せめて長くしてみた髪の毛は針のようにまっすぐで、よけいに印象を鋭くするばかり。モデルみたいって褒めてくれる女の子もいるけれど、私は好きな人を柔らかく癒してあげたかったし、いとおしく見下ろしてくる瞳を見上げてみたかった。

この体には価値がない。分かりきったことを、秋山はわざわざ指摘してくれる。
そんなんだから処女なんだ、って。
誰からも愛されたことのない女、というレッテル。だからといって、こんなものいらないと簡単に捨てられるものではない。自分を貶めるようなことは絶対にしちゃいけない。頭では分かっている、でも。


中学最後の冬休みが明けたころ、秋山の首筋に小さな痣のようなものを見つけた。

「こんな時期に虫刺され?ふとんにダニでもいるんじゃないの」

指摘すると、秋山はしばらく笑い転げて。

「遠野は、ほんとにかわいそうだね」

それは、ひたすら優越感にひたっている顔だった。私はまた恥をかいたことを悟って、いよいよ痣の正体をつきとめたときには、何度目か分からない悔し涙を流さなければならなかった。


秋山にとって無知な私は笑いものでしかない。最低な男。そんなに馬鹿にするのなら、ぜんぶ手ずから教えてくれればいいのに。そうすれば私も少しは可愛げのある女の子になれるかもしれない。可愛げのある女の子に、してほしい。でも、他の女の子に触れた手で触れられるのは嫌だ。そんなの想像するだけでますます心が腐ってしまう。どんなに価値がなくても、どうしても、私にとって私は大切なものだから。

世界で一番あげたいのに、世界で一番あげたくない――そもそも欲しがってもらえないのだけれど。

ずっと頭の中は堂々巡り。だから、あいりちゃんに翻弄される秋山を見たら、ひさびさに胸のすく思いがした。
あいりちゃんは、秋山の思い通りにならない。あいりちゃんに夢中な秋山は今、誰のものでもない。それは、とても寂しい安らぎだった。
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