ぼくたちは一生懸命な恋をしている
その日、駿河くんの帰りは日をまたぎそうなくらい遅かった。いつもなら寝てる時間だったけど、ちゃんとお話ししなきゃと思って、私はがんばって起きてリビングで待ってた。

「あいちゃん、こんな時間までどうしたの?」

「あの、旅行のこと……」

「あぁ、マリアちゃんから聞いたよ。丈司の運転は心もとないからね。車なら俺が出すよ」

駿河くんは、しかたないなぁって感じで笑ってる。あんなに反対してたのに受け入れてくれて、そのうえ巻きこんでしまった。ただでさえお仕事が忙しいのに。

「無理しなくていいの。ダメなら、私ちゃんと諦めるから、だから」

これ以上、自分を犠牲にしないで。そう伝える前に、さえぎられた。

「俺がいたら、迷惑?」

肌がざわっとして、思い出したくない記憶がよみがえる。いまの駿河くんは、隼くんと恋人になった日、マンションの前に立ってた駿河くんとおんなじ。笑ってるのに、恐い。
やっぱり、また怒らせてしまったんだ。

「迷惑じゃないよっ、でも」

「でも、なぁに?」

駿河くんがこちらへ歩いてくる。思わず後ずさりしたら、すぐ後ろにあるソファにぶつかって、すとんと座ってしまった。

「やっぱり彼と二人きりがいい?」

あっという間に近づいてきた駿河くんが、私の隣に腰を下ろした。その衝撃に体が揺れて、心臓も揺れる。たくさんスペースはあるのに、なぜか体を寄せられて、ソファの端に追いやられた。
近い。足が触れてる。

「あいちゃんの言うことは何でも聞いてあげたいんだよ。でもね、心配なんだ。いけないことされちゃうんじゃないかなって」

「いけないこと……?」

「そうだね。たとえば」

肩を、強い力で抱き寄せられた。力が入らない体はされるがままで、頬が広いスーツの胸にぶつかった、その瞬間、嗅ぎなれない匂いがした。これはきっと、タバコとお酒、それから。強いお花みたいな香り。綺麗な女の人に、似合いそうな。
胸の奥で眠りかけてた痛みが目をさます。でも、あふれそうな悲しみは、大きな手がゆっくりと肩から脇腹をなぞって腰まで下りてきたことで吹き飛んだ。ぞわぞわと鳥肌が立つ。
腰にある手が、熱い。

「こんなふうに触られたこと、ない?」

耳にふきこまれるみたいにささやかれて、「ひっ」と勝手に声が出てしまった。

「ない、隼くんは、こんなことしない!」

「ほんとかなぁ?」

「ウソじゃないよぉ……!」

どうしたの?駿河くんがおかしいよ。
また手が動く気配がした、そのとき。

ガン!と大きな音を立ててリビングのドアが揺れた。

「うるせぇ何時だと思ってんだお前ら!早く寝ろ!」

かなでの怒鳴り声。たぶんドアを殴りつけたんだ。

「……ははっ、怒られちゃったね」

腰から手が離れていって、駿河くんはもういつもの駿河くんだった。それでも私は体が固まってしまって動けない。

「いたずらが過ぎたよ。ごめんね。旅行のことは、お友だちにも伝えておくんだよ」

おやすみ、と優しく頭をなでてくれてから、駿河くんはリビングを出ていった。
ひとり取り残された私の頭の中はぐちゃぐちゃで、触られたところがじわじわしびれて、泣きそうで。とても眠れそうになくて途方に暮れた。
< 55 / 115 >

この作品をシェア

pagetop