ぼくたちは一生懸命な恋をしている
14.かなで
突然、スマホが鳴りやまなくなった。壊れたのではない。大量のメッセージの受信を正しく知らせていただけ。セイラに出会ったあの日に撮影した写真が、とうとう世に出たのだ。知人や関係者がオレの変化に驚いて連絡を寄こしてくる。やかましくて、家族と相川さん以外の受信音をオフにした。

原稿を最終チェックしたときから、混乱が起きることは予測していた。被写体としてのオレの仕事ぶりは最悪だったから。もともと撮影の時点で力及ばなかったことは分かっていたが、改めて客観的に見て、こんなにも度を超えた低クオリティだったとは予想外だった。セイラのハイレベルな要求に、やはりオレは答えられていなかったのだ。

オレはセイラに恋をして、いろんなものを捨てた。でも、事務所やスタッフ、オレに関わる全ての人たちと築き上げてきた百瀬かなでという商品の価値を守る責任を投げ出す気は毛頭ない。世間を失望させてしまう危機感から撮り直しも辞さない覚悟だったのに、編集部や相川さんの反応は絶賛だった。信じられない。納得していないのはオレだけだった。

雑誌が発売された今も、直接耳に入ってくるのは称賛ばかり。だったらネットはどうかと見てみれば、これまでのイメージとのギャップに戸惑っているファンの声も少なからずあるようだが、好意的な意見が多いのが実状だった。
大人っぽい、色っぽい、綺麗、カッコイイ……そう見えるのは、ひとえにセイラやスタイリストの力量によるもの。
みんなオレ自身の仕事の良し悪しなんて見ていない。失望させられたのはオレのほうだった。
オレは外見も中身も完璧だからこそ求められているはずだった。完璧であることは絶対的なアイデンティティだ。それなのに、出来損ないのオレでも好評価を受けてしまった。仕事への向き合い方が、自分の在り方が、揺らいでいる。

それでも仕事はこなさなければならない。オレは机に向かい、できるだけ無心でペンを走らせようと努めていた。
月刊のホビー誌で連載しているエッセイ。たいした内容ではないのに支持されているのは、ページの大半を占めている手描きイラストが好評だからだ。

小さいころから絵を描くのが好きだった。観察眼に優れたオレならではの緻密な絵は、当然、誰からも褒められる。でも、その褒められ方が気に入らなかった。みながみな、親父を引き合いに出すのだ。さすが天才画家の子だ、と。
ただ、親父はオレの絵を褒めない。一度だけ苛立たしげに言われたことがある。

「見えるままを描くなら写真でいいだろう」

親父の作風は、写実とはかけ離れている。表現に信念を持っているからこそ、たかが子どもの絵にだって容赦ができなかったのだろう。穏やかに見えて、苛烈な人だ。そんな人の子どもだから、オレだって自分なりに考えて描いた絵を否定されて、しこたま反発した。
絶対に親父のような絵は描かない。
オレは自分自身の絵で人の心を掴み、仕事だって勝ち取った。この冬には連載で発表したイラストの原画展が開催される。

ここまできたのはオレの力だ。親の七光りなんかじゃない。今、このミリペンで繊細に描きこんでいるモノクロのイラストだって悪くないだろう、それなのに。
揺らぎが大きくなっていく。
足元からじわじわと侵食してくる不安に、ペンが止まった。はたして世間は真っ当にオレの絵を評価しているのだろうか。
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