好きだけじゃ足りない
お茶を口許に運んだまま明さんをちらりと見れば変わらずににっこりと笑っている。
「優斗が誰かわからないかな?」
「すみません…。」
「良いのよ。あの人、あまり名前を名乗らないから…。
バーのマスターって言えばわかる?」
にっこりと変わらずの笑顔で言われた言葉にグラスを落としそうになってしまう。
私の知るマスターはたった一人。
たぶんマスターの事を言っているんだろう。
「あ……もしかして…、」
ぐちゃぐちゃのピースがカチリとはまり、一つの仮説が成り立つ。
「優斗から何か聞いてる?」
「……少しだけ…、私と同じ事をしていたって。」
「えぇ…優斗とは不倫関係だったのは事実よ。」
臆する事もなく、悪びれる事もなく、胸を張る明さんが少し羨ましかった。
過去の事だからと言う言い方ではなく、本当に臆してはいないような言い方。
カラリと音を立てて崩れるグラスの中の氷を眺めながらどうしてかわからないけど笑いが漏れた。
明さんの後ろにある大きな窓からは透ける色をした空だけが私たちを見ていた。
まるで、全てを透かしてしまうように。