好きだけじゃ足りない
握られた手がゆっくりと離れて、熱が篭った拳が寒いくらいの冷気を感じた。
「お前が傷付くなら…っ」
聞きたくない。
そう思いながらも伊織に向けた視線を外せなくて、握られたままの拳も膝の上から動かせない。
空気が凍るように冷たい。
「一緒にいない方が良い。
別れた方が良い…」
カチ、カチ、と無駄に大きく響く壁掛け時計の秒針の音。
床擦れの音を立てながら、立ち上がって部屋からいなくなる伊織を見ても動けなかった。
「……わかれる…?」
やっと音にできた声は妙に部屋に響いて、今が夢ではないと実感させるだけだった。
言葉にしない事が伊織のためだと思ってきた。
でも、それはただ自己満足にしか過ぎないんだと初めて知った。
言葉がこんなにも重いものなんて、生まれて初めて知った。
今、私が此処にいるかなんて実感はない。
でも…それでも、いてもいなくても変わらずに地球は回る。
当たり前のように時間は刻まれて行くんだ。