好きだけじゃ足りない
押すことも引くこともできない、そのまま固まる私は傍から見たら物凄く滑稽だったのかもしれない。
「あんたさ…自分刺してどうすんの?周りの事考えた?あんた死んだら誰が泣くんだよ。」
静かすぎる声にただただ俯いて言葉を発するなんてできっこなかったんだ。
今までの私はただ自分が楽になる事しか考えてなかった。
私の行動一つで誰かを悲しませるなんて考えてすらいなかったんだ。
「……っ、ごめ…なさ、い…」
「自分の好きな奴悲しませてどうすんの?
だから…あんた嫌いなんだよ…っ」
パタリ、パタリと落ちる真っ赤な鮮血を見て、果物ナイフから手を離した。
膝から崩れて床にペたりと座り込んだ私の視線に合わせるようにしゃがみ込んだ専務と嫌でも視線が絡まってしまった。
「あんたは…俺みたいにならないでよね。曖昧なままは自分が1番苦しいんだよ…」
「…せ……彬…くん?」
「あ、初めて名前で呼んだ。」
ただ名前で呼んだだけなのに、ふわりと優しく笑う専務…彬くんに私は初めて本当の彼を見たような気がした。
止まっていた時間がほんの少しずつ、動き出したようだった。