好きだけじゃ足りない
伊織から書類を受け取って、未だにぎゃんぎゃん言い合いをする大人二人を尻目にさっさと総務課を出る。
幸せは掴んだ時には気づかない。
失った時に初めて、あの時は幸せだったんだと気づくんだ。
それが人間。
「あら、メグちゃん。」
「…こんにちわ…円香さん。」
廊下でばったり会った伊織の奥さん。
昔の私なら全てを投げ出して逃げ出したかもしれない。
でも今は…ちゃんと前を見て笑って挨拶をできるくらいに成長したんだ。
「そうそう、私あなたに言いたい事があったのよ。」
「な…んですか…?」
「――…伊織は…私のよ?」
ギュッと心臓を握り潰されたような感覚を久しぶりに感じた。
それでも、逃げない。
私を支えてくれる人達のために、私は逃げちゃダメなんだ。
「私が伊織の妻なんだから。」
「……そうですね。
でも…私だって伊織を愛してます。伊織も愛してくれる。」
それだけは胸を張って言える。
手に持つ書類が少しくしゃくしゃになってしまったけど、私の気持ちは揺るがない。
「逃げないって決めたんです。何があっても…私は逃げない。」
一つの決意と、たくさんの気持ちを抱えて円香さんの横を通り過ぎた。
その時の円香さんの表情がどんな気持ちを現してたかなんてわからない。