好きだけじゃ足りない

社内の廊下をゆっくりと歩く伊織を二歩下がった後ろから追い掛ける。

多分、今の私と伊織の距離もこのくらい。
近付けなくて…それでも遠くない。



「今日、朝勝手に帰ったろ。」

「…………仕事に私語はやめてください。」

「誰も聞いてねぇよ。」


コツコツと私が履くヒールが鳴る音と、そこら中から聞こえる話し声を押し込める声に小さくため息を吐いた。

伊織は咎める言葉なんてたいして気にもせずに立ち止まって真っ直ぐにこちらを見てきた。



「起きたらお前いないし。」

「……英部長。仕事中は…」

「勝手に帰るなよ。」


駄目だ。人の話しなんて聞いちゃいないんだから。

人目、しかも伊織の会社の社員がいる場所で堂々としすぎているコイツに私の方がヒヤヒヤしてしまいそうだ。



「今日も来いよ。」

「っ、行きません!」


それでも敬語を忘れないのは私のちっぽけなプライド。



「来い。これ、命令。」

「……サイアク…」

「メグとの時間のためならなんだってしてやるよ。」


嬉しくない、なんて言えない。

嬉しいんだから。伊織が言う言葉は別れ話以外ならなんだって嬉しい。



「だから来いよ。」

「………考えておきます。」


嘘だよ…、私は何があっても飛んであの場所に行く。

伊織を唯一独り占めできるあの場所へ私は当たり前のように飛んで行く。



「夕飯…作れよ?」

「…は?なんで」


…作らなきゃいけない、と紡ぐ声はほんの少し離れた場所にいるぼんやりと見えた人影によって言葉にはならなかった。



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