天使の足跡
拓也がこっちに戻ってくると、癒威は彼を見上げて、こう言った。


「槍沢くんの歌が聞きたい」


拓也は驚いていた。


「な、なんだよ、いきなり」

「歌ってくれないの? 歌手志望なのに?」

「わ、分かったよ……」


ギターを掴んで、ベッドにあぐらをかいた。

有名なシンガーの曲を、ギターを弾きながら歌う。

アパートだから音量は小さめだったが、それでもギターの音色も、迷いのない歌声も、確かに癒威の耳に流れ込んでいた。





「太田のこと聞いてもいい?」


歌い終わった後、ギターで適当に音階を奏でる拓也が問い掛けてきた。


「うん?」

「太田ってさ、彼女とかいないの?」


不意を突かれたなと思った。


そういえば、今までそんなこと、考えなかった気がする。

たとえそんな想いがあったとしても、自分には無理だと思っていた。

無理なんだ、と。


「いないよ」

「え、意外! 絶対いると思ったのに」

「そういう槍沢くんは?」

「残念だけど、いない。だから太田に聞いたんだ。……でも太田ってさ、本当は言い寄ってくる人もたくさんいたんじゃない?」


と、ニヤニヤ笑われる。


癒威は口をヘの字にして、


「意地悪だなあ、あんまりイジらないでよ」


とぼやいた。

続いて困った顔で頭を掻きながら言う。


「誰も好きにならない。そう決めたんだ。誰とも付き合わないし、結婚もしない」

「へえー、すごい決意だね。なんでそう思うわけ? いつかは、いいな、って思える人が出てくるかもしれないじゃん」

「そうなのかなぁ?」

「まさか、勉強ばっかで女子に興味ないとか?」

「うーん……?」
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