天使の足跡






静かに玄関のドアを開けて、一歩踏み入れる。

久しぶりの我が家は、懐かしい匂いがした。


靴を揃えてあがり、階段をそっと登っていく。

その時、


「癒威? 癒威なの……?」


母の声がリビングの方から聞こえてきた。

スリッパをパタパタ言わせて、中段にいる癒威を見上げてくる。

彼が少し振り返ると、母は安堵しきった優しい笑みで迎えてくれた。


「お帰りなさい! お父さんいないんだから、こっそり入ってくることないのに」

「うん、ただいま」


階段を上がって一番奥の部屋のドアを開けた。

母によって清潔に保たれた自分の部屋。

しばらく帰っていなかっただけで他人の部屋みたいに感じる。

ベッドに座るのも本棚に触れるのも、コルクボードに留めてある思い出の写真を見るのも、してはならないような気がした。

彼の代わりに他の誰かが生活しているかのような空間が作り上げられている。


その部屋を、ただ眺めている彼の背中を、後ろから誰かが叩く。


驚いて一瞬肩を震わせた。


「自分の部屋だろ、なに遠慮してるんだ?」


彼の兄だった。


〝太田翼〟


翼(つばさ)と書いて『たすく』と読ませている。


翼は、医者である父の後に続くため勉強に励んでいる、現役の医大生。

父が医者で、息子も当然のように医者を目指す──この考えから逃れたくて、癒威は家を抜け出した。

兄は自らの意思で従っているのに。

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