聖霊の宴
「ちょっと?アンタなにしてるの?」
博士は家に着くなり、押し入れの中の物を全て出した。
海水浴で使った厚いゴーグル。
なにに使ったのか記憶にすらない、とにかく臭い棒。
的当てに一時期ハマった時のパチンコに、勇者ごっこをラックとした木の盾。
小さなビーズのネックレス。
とにかくそれらを詰め込んだ。
「助けるんだ!僕らでメリルを助けに行くんだ!!」
無造作に出した物を押し込もうとしたときに、あるものを見つけて博士はそれも背負っていたリュックに入れた。
「よし」
リュックをしっかりと背負い直して博士は家を飛び出していく。
一方その頃、ゴルド、ラックそしてアニスは林のなかを一目散に進んでいた。
先行く二人はもうすでに頭のなかをメリルを助け出すことだけにしていた。
そんな中でアニスの頭を支配していたのは別のことであった。
思い詰めるアニスの顔に気付いたのはゴルドだった。
走り続けながら背中越しに聞く。
「アニスどうした?今さら気後れか?」
「違う!違うよ……ただ」
その言葉に偽りはない。
メリルを助けるために凶悪犯と退治することへの気後れはない。
林を駆け抜けていくと水の流れる音が聞こえてきた。
「あ」
ラックは気付いた。
「なんだラック?」
「アニスおまえ」
三人の目の前に現れたのは、子どもでは少し難しい距離のある谷であった。
アニスはこの谷をまだ一度も越えたことがない。
「アニスなんなら僕と一緒に……」
ゴルドはそんならの優しい言葉を遮るように言う。
「お前は聖霊の使者だろう!この程度の谷も越えられぬ者など足手まといになるだけだ!
ラックよ、捨て置け!!」
そう言ってゴルドが叫んで、谷を飛び越していった。
後ろを振り返るラックに、谷越えをしたゴルドが活を入れる。
「ラック!手を貸すな!
そんな暇は我らにはない!!」
ラックは最後に一度アニスを見つめた。
アニスの表情はいつものように固まったままだ。
ラックは心を決める。
そして一人で谷を飛び越えていった。
残されたアニス。
全速力は続いている。
あとはほんの少しの勇気と力強い踏み切りがあれば谷を越えられるだろう。
「僕は……僕はもう」
拳を力一杯にぎった。
転びそうになりながらも足を最大最速で運んでいく。
「僕はシルク・スカーレットの様な英雄になるんだ!!」
最後の小いさな木を駆け抜けた。
その木陰であの手紙を持った男が笑っていた。
「いやぁ恥ずかしいこと言ってくれるなぁ。英雄だってさ……
happybirthday、小さな勇者さん」
アニスは思いきり足を踏み込んだ。
申し分ない助走と踏み切り。
身体は想像していたよりも速く風を切って宙を進んでいく。
しかし、慣れない全速力での踏み切りでアニスの身体はいとも簡単に流されていく。
「う、うわぁぁぁぁぁあっ?」
意気込みなど無意味。
ただ逆らうこともできずにバランスを失った身体は空気抵抗をもろに受けて失速した。
「嘘だろ、落ちる……
死ぬ……?」
重力がアニスの傾いた身体を谷の其所へと引きずり始めた。
あと少し手を伸ばせば届くはずの場所が止まっている。
ゆっくりと降下が始まり、アニスは目を瞑った。
その時、アニスの身体を目映い光が包んでいたことをアニスは知らない。
いつまでたっても谷に着陸しない。
川の水に落ちた感覚もない。
今、アニスが感じているのは靴で土の上に立っている感覚であった。
「あれ?」
ゆっくりと閉じていた目を開けるとそこには谷がなかった。
不思議に思いながら後ろを振り返ってみると、そこにはあれだけ越えることができなかった谷の向こう側が見えていた。
いつもならこの視線の先で俯いていたはず。
今はその先にいた。
「やった!越えたんだ!僕はあの谷を越えたんだ!
あれ?でもなんで?僕はあの時バランスを崩して落ちていったはずなのに」
アニスは首を傾げたが、奇跡だろうと勘違いだろうと谷を越えたのは事実であり、考えても仕方がなかった。
アニスはすぐに意識を違う場所に向ける。
「さぁ、メリルを助けに行くんだ!」