学校では教えてくれない"不倫学"
目先のゴールはすぐそこにあるのに、そこにはカギがかかっていて、いくら呼びかけても開かないし、体当たりしてもビクともしない。

かなしいことに、自分にはどうがんばっても開けられないのです。

自分にとっての、もっと先のゴールは、目の前のゴールの先にあるというのに。

このキモチは、不倫をしていない人にはなかなか理解されないでしょうが、本人にとってはかなり苦しい現実です。

「不倫をしている自分が悪いのだから」だけでは納得できないものがあってとうぜんです。

なぜなら、さまざまなリスクをおかし、自分の方から近づいていったりと、自分にできる最大限のことをしてきたのです。

スケジュールも合わせ、
相手の家族の都合に合わせ、
常にカラダの求めに応じ、
ときには母親のようになぐさめ、
ときには父親のように指摘し、
バレないように証拠を消し、
逢いたいときもガマンして、
行きたいところもガマンして、
ツラいキモチも言えなくされて、
それでも誰にも言えなくて、
一年待ってと待たされて、
肝心のひとことも言えなくて、
小さな約束もしてもらえない・・・

それでも、それも全部、不倫をはじめた自分の責任だと思い、ひたすら耐えてきたわけです。

それ以上の努力はもう、ひとりの人間にはムリなのです。

ですから、まったく逆効果でしかないとはわかりつつも、「無言電話をかけたくなる」とか「証拠を残したくなる」とか、相手の家庭をこわしてやろうというような悪魔的な考えにとらわれるのも、ムリはないことです。

ひどい場合は、妊娠して責任をとってもらおうとすら思うようになります。

ただ、この方法は確実な方法ではないのですすめません。

なぜなら、こうなってくるともう、相手のことを「愛してる」とは言えない段階になっているでしょう?


それは、本当にあなたが望んだゴールなのでしょうか?
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