学校では教えてくれない"不倫学"
このように「結婚」には、愛を表現する手段でもありながら、数多くの恩恵を受けられるといった「実利的」な側面もあるのです。

多くの人は、そのお見合い結婚でうまくいく夫婦の例でもそうですが、「結婚」という、いわばひとつのゲームを二人ですることによって、恋人同士のときとはまたちがう、もうひと段階上のレベルで人を愛することを学びます。

ですから、そういった、結婚という制度の実利的な側面があることは、悪いことではありません。

手探りで愛しあうというのは、大変ですから、結婚という、イメージもつけやすく、あともどりができない関係のほうが、より真剣に向き合おうと思えます。


ですが、「愛し合いつづける」という本来の目的を忘れ、その実利的な面だけにとらわれてしまうと、「愛のない夫婦」ができあがるのです。

そして、それがイヤになって、家庭の外、つまり不倫の恋に手を染める人もいます。


ここではなにが正しくてなにがまちがっているかという話はしません。

ただ、「結婚」には、「永遠につながる愛の形」という感情的な側面と、「実利的な社会関係」という理性的な側面という、ふたつの側面があるという「事実」を忘れてはいけません。

その、いわばクルマの両輪がうまく機能すれば、これほど強い結びつきのある関係はないでしょう。

いわゆる「いい結婚」です。

ですが、その片側のタイヤが止まっていた場合、その関係は悲惨なものになります。
ですが、世の中には、その状態のまま走りつづける夫婦もいます。
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