学校では教えてくれない"不倫学"
「恋愛」は、恋からはじまり愛に行き着くものです。

ですが、たんなる「恋」が、「愛」にたどり着くとはかぎりません。

片想いなんかは「恋」の代表的な例でしょう。片想いのまま終わったときに、そこに愛があったなど言えるでしょうか?

「好き」の最上級が「愛」なのではありません。

あなたが相手を受け入れたとき、そのときにはじめて、相手の心に「愛」が生まれるのです。その逆もそうです。


あなたが相手を手に入れたいと思うのも、相手があなたの苦しみに無関心なのも、そこに愛がないからです。
自分のキモチが先に来ている、あくまでも恋なのです。

愛があれば、あなたのキモチを受けとめた行動をするハズです。
「認知はできない」と避妊をせずにセックスするなんてことはできません。

本当に相手のことを愛していれば、「だまされた」とは言わず、「あなたにならしょうがないわ」と赦(ゆる)せるハズです。

おなじ「ゆるす」でも、罪を「許す」のとも、ガマンともちがいます。「赦す」というのは、その罪をひっくるめて受け入れることです。

うまくいく不倫には、それがあり、うまくいかない不倫には、それがありません。

また、結局は壊れない家庭にもそれがあり、壊れる家庭にはそれがありません。

浮気をしても今回は目をつむろうというのは、理由はどうあれ相手を「赦す」行為です。それがあるからこそ、家庭は壊れません。

そして、妻はそれができるのに対して、「だまされてるんじゃないか」と疑うあなたはすでに「赦す」キモチがないので、負けてしまうのです。


不倫の恋は、実は、二人が別々に恋をしているだけのことが多いのです。
それがたまたまかみ合ったときや、相手に合わせているうちに、それを愛だと錯覚してしまうのです。

そういう不倫の恋は、たとえお互いが好き同士でも、永遠に「恋」のままで、一緒になるなんて夢のまた夢です。

二人は、そもそも別々の道を歩いているのですから、手を取り合って生きていけないのです。

だから不倫の恋は、愛というゴール遠いからこそ、恋心が長続きするのです。

でもそれは、運命だからではありません。
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