学校では教えてくれない"不倫学"
不倫の恋の多くが愛に至らないのは、お互いがたんなる逃げ道でしかないのに、頼りあおうとするためです。

冷たい言い方かもしれませんが、妊娠しても一人では産めないと言う不倫には、愛はありません。

はじめから、人に愛を与えることよりも、もらうことを期待していたからです。
その結果、「おろせ」と言われることだってあります。

与えることに喜びを感じていたら、どれだけ「おろせ」と言われても、新しい命を与えようとするハズです。

それができないのは、いくら環境的な不安をかかえていようとも、その関係には愛がなかったということなのです。


人に愛を与えてこそ、自分にも愛が与えられるのです。

だからこそ、また新たに与えるエネルギーがわくのです。それが、愛という好循環の関係です。

そして、そのエネルギーのやりとりの中で大きくなったエネルギーが、新たな命を生み出すのです。

ですから、子どもができたら「おろせ」とか、「責任とってもらいたい」とか言い合う関係に愛などあるハズもないし、一人で子どもを産み育てていくことがことができないと思うのも当然なのです。

そこには、マイナスのエネルギーしかないからです。

自分たち二人の関係に、もうひとつ新しい、エネルギーをそそぐべき対象が現れたときに、愛のあるなしがハッキリするのです。

愛があれば、命を与えるエネルギーをそそげますが、愛がなければ、それはできません。

二人が愛だと思っているものは、文字どおり二人だけの愛なのです。
なにかを生み出すエネルギーがないから、その関係が新たな関係に進むこともないのです。


ですから、たとえ不倫の恋で妊娠して、相手が逃げたとしても、産むことをオススメします。

大変ではありますが、本当のイミで、人を愛するということを学べるからです。

子どもを愛しながら育てることで、愛とはもらうことではなく、与えて、やっとはじめて、「産んでくれてありがとう」「愛してくれてありがとう」と言ってくれるようになるのです。

それは、逃げた不倫相手があなたにはくれなかったもので、あなたが一番ほしかったものであるハズです。
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