きっとそれを      平凡と呼ぶのだろう

 病室に戻ってからしばらく、鎮痛剤をくれなかった。
 個人病院だったからなのか、時代がそうさせていたのか解らない。
 麻酔の効いている最中は鎮痛剤の投与は危険だと言われたのだ。

 つまりは、麻酔が完全に切れるまで、腹部にナイフを刺した痛みにただただ耐えろと言うことだ。
 痛かった。
 もちろん痛かったのだ。

 時たま看護婦が様子を見に来て、
「その感じだとまだまだ我慢できるね」
 と言葉を残して出ていってしまう。
 痛み止めを何度懇願したか解らない。

 午前中に手術をして、痛み止めの投与があったのは、夕方だっただろうか…。


 2日後、膀胱へと繋がる管を抜かれて、歩けと言われた。
 これは多分最近も同じだろう。
 その後は順調に回復し、退院した。

 しかし、その後の治療でも良くなる兆しはなかった。
 手術をして、卵巣も血液の固まりも無くなったはずが、子宮内膜症を表す数値が一向に変わらない。

 母と相談して、大きな病院に変えることにした。
 新たな病院での治療が始まり、体に合う薬も見つかる。
 次第に病状は落ち着いていった。

 しかし、毎月の生理痛は変わらず、取ったはずの左の卵巣が痛み出した。
 生理期間と関係なく、少量の出血が常にあり、生理中は必ずお腹を下した。

 時には二時間で夜用ナプキンが吸収しきれなくなった。
 陰部は常にかぶれて、痛みと痒みがひどかった。
< 18 / 28 >

この作品をシェア

pagetop