きっとそれを 平凡と呼ぶのだろう
病室に戻ってからしばらく、鎮痛剤をくれなかった。
個人病院だったからなのか、時代がそうさせていたのか解らない。
麻酔の効いている最中は鎮痛剤の投与は危険だと言われたのだ。
つまりは、麻酔が完全に切れるまで、腹部にナイフを刺した痛みにただただ耐えろと言うことだ。
痛かった。
もちろん痛かったのだ。
時たま看護婦が様子を見に来て、
「その感じだとまだまだ我慢できるね」
と言葉を残して出ていってしまう。
痛み止めを何度懇願したか解らない。
午前中に手術をして、痛み止めの投与があったのは、夕方だっただろうか…。
2日後、膀胱へと繋がる管を抜かれて、歩けと言われた。
これは多分最近も同じだろう。
その後は順調に回復し、退院した。
しかし、その後の治療でも良くなる兆しはなかった。
手術をして、卵巣も血液の固まりも無くなったはずが、子宮内膜症を表す数値が一向に変わらない。
母と相談して、大きな病院に変えることにした。
新たな病院での治療が始まり、体に合う薬も見つかる。
次第に病状は落ち着いていった。
しかし、毎月の生理痛は変わらず、取ったはずの左の卵巣が痛み出した。
生理期間と関係なく、少量の出血が常にあり、生理中は必ずお腹を下した。
時には二時間で夜用ナプキンが吸収しきれなくなった。
陰部は常にかぶれて、痛みと痒みがひどかった。