天使の足跡〜恋幟
「実は……本当に……、恋とか、したことないんです」
「そうかぁ……」
想いとは異なる言葉が口から漏れた。
言えない訳じゃない。言わなかった。
別に、会った人全員に自分のことを知ってもらわなくても、いい。
日が浅い他人なら、なおさら。
このまま生きていくって、決めたから。
「織理江さんは今、恋人はいますか?」
「あ、あたし!?」
エヘヘと恥ずかしそうに笑っている。
「好きな人はいるよ。でも、あたしのことを、そういう風に見てくれてないと思うの。たぶん友達くらいにしか思ってないのかな」
「どうして?」
彼女は真剣な面持ちで考え、それから数秒ののち、気まずそうな笑みを浮かべて話した。
「あたしの恋ってね、ハッピーエンドにならないと思うの。何でかって言うと……ねえ、お願い、この話聞いても驚かないって約束してくれる?」
突然真面目な顔を見せられて、一瞬怯んだ。
「わ、分かりました」
いつもの愛らしい大きな瞳に、影が差している。
「あたしの名前、ホントは“坂月織理江”じゃないの」
「え?」
聞き返した時に見た彼女の表情は、曇っていた。
眉に皺をよせ、必死に言葉で説明する仕草……
何か重大なことを打ち明ける時の、身を守るような姿勢……
織理江は、ふと口を開いた。
「坂月亮太」
“サカツキ リョウタ”……?
名前が木霊する。
誰の名前……?
「あたしの本名だよ……“男の子だった時”の。……やっぱ変だよね、あたしは全然気にしてないんだけどさ、聞く側にしてみたら……」
癒威はすぐに首を横に振った。
「変じゃないです」
織理江が寂しげな顔のまま、癒威を不思議そうに見上げる。
「自分も……だから……織理江さんとは違うけど……」
「え……?」
「性別がはっきりしない体で生まれたんです」
癒威は、自然にそう告げた。
当然織理江は目を丸くしたが、それが偏見から来るものではないことを知っていた。