天使の足跡〜恋幟
「え、男なん? ほんま?」
その次の瞬間、関西男の右手が、少年の胸に当てられた。
「ちょっ……!?」
その予期せぬ行動に、赤面しながらも眉を顰める。
「あ、ホンマや、男の胸や!」
反射的に、彼の手を叩き落とした。
触られて困ることもないが、何となく恥ずかしかった。
バクバクする心音を悟られないよう、冷静を装って言う。
「もう帰ります」
立ち上がった少年を追うように、青年も立ち上がる。
「えー! ごめん‼ 帰らんといて! ホンマに歌聞きたいだけやし!」
反省しているのか、いないのか……。わははと笑う明朗な声が川原に響く。
この時、少年は考えていた。
一見すると軽薄な男だが、こんな時間にこんな場所に一人で来たのには、他に理由があるはずだ。
そう踏んで、少年は「あの」と声を掛けた。
「どうしてここに来たんですか?」
青年は後ろを振り返ってから言った。
「ほら、向こう見てみ」
指差す方向……斜面を上った長い道の向こうから、女性がやってくる。
細身にベージュのコートと紺色のマフラーを纏い、茶色の長い髪を頭のてっぺんで団子にしている、かわいらしい女性だ。
彼女は男の姿を見つけ、小走りに駆けてくる。
「恋助ー!」
と、可愛らしい高い声が聞こえた。
名前を呼ばれた青年が手を振って応えると、少年に向き直り、
「俺のパルや」
そう教えてくれた。
パル──つまり、『友達』。
「あの女の人が?」
「せや」
その女性はすぐそこまで来ると、息を整えながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。
華奢な背中に大きなケース……それはギターの形をしていた。
「ごめーん、ちょっと用事ができちゃって。……この子は?」
「俺らの練習場に、先客いてん」
少年はハッとして、二人に軽く頭を下げた。
「あの、ごめんなさい、特等席だって知らなくて……、自分もう帰りますね」
「ううん、いいの! せっかくだから、聞いていってほしいな!」
ずっと走ってきたせいか、この少年よりも白い頬は、ほんのり赤みを帯びている。
彼女はケースからギターを取り、肩にかけた。
すうっと息を吸い込んで、歌い出す。